嵯峨野綺譚~嵯峨大念仏狂言~
満開の桜の横に釣鐘堂があって、その向こう、公衆トイレの横に能舞台があって、嵯峨大念仏狂言はそこで演じられていた。
小雨が降っている。
デン・カンカン デン・カンカン
太鼓と鉦が単調な囃子を繰り返す。
能面をつけた2人の登場人物が何やら身振りをつけている。台詞はない。
「狂言」というからにはもっとゆったりと舞うような所作なのかと勝手に思っていたが、意外にひょこひょこ重みのないモーションで演じられている。
見物客が20‐30人。パイプ椅子に腰掛けたり、立ったまま眺めている。
インバウンドの観光客がカメラを向けている。
白い布を掛けた長机に陣取った受付のおばさんがくれた冊子には
と書かれている。
ナルホド。
「おぉ~。しかしあの頼光はんの振りは見事やね。あの手つきや肩の構えはちょっとやそっとでは真似でけん。」
「さすが、リョウちゃんやね。お父さんの振りとそっくりや」
地元の人らしい2人が、演目の「土蜘蛛」を眺めながら話していた。
そうか。見事なのか・・・。
3人目の男が近づいてきた。
「おや、リョウちゃん。アンタ、いま演っとるんと違うんかいな?」
「ほな、あの頼光はんは誰や?」
「マサハルやろ。オレと違うんやったら」
「いやいや。マサハルはさっき便所の陰で煙草吸うとったがな」
「でも来とるメンバーで頼光やれるの、オレとマサハルだけのはずやで」
「ほな誰や?わしはてっきりリョウちゃんやと思うとった。体つきや動きがアンタのお父さんとそっくりやがな」
リョウちゃんと呼ばれる3人目の男が少し言葉に詰まって、やがて口を開いた。
「今日な、親父の命日やねん」
男たちは目を見合わせて、そして視線を舞台の上に送った。
デン・カンカン デン・カンカン
「土蜘蛛」役の演者が、蜘蛛の糸になぞらえた白く細長い紙テープの束のようなものを、その手許から頼光に向けて放つと、蜘蛛の糸はさぁっと扇形に広がって緩やかな放物線を描いた。
(了)
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