嵯峨野綺譚~水虫野郎~
あ、またいる。
ヤツに気づくようになったのはいつからだろう?
東京でのサラリーマン生活に見切りをつけて京都に戻り、地元嵯峨嵐山のタウン誌の記者になって何年かたった頃だと思う。
嵯峨に戻って2度目、もしくは3度目の夏・・・?
取材で長辻通りの人混みを歩いていて、ふと視線を感じて振り向くと、ヤツがいる。
僕と目が合うと、いや、目が合う寸前でヤツは人混みに紛れてしまう。
何度か後を追いかけたが、すぐに見失ってしまう。
どこかで見覚えがある。
そしてある日、気づいた。
ミズムシ君だ・・・。
高校時代の1年上の先輩で、ちょっと変わっていていつも皆からいじられていた人がいた。
名前は知らない。あだ名が「ミズムシ君」だった。
ひどいあだ名だ。
どこがどんな風に変わっていて、皆からいじられていたのかも分からない。あだ名の由来も知らない。
学年も違うし、さして関心もなかった。
ところが、卒業してからの方がよく見かけるようになった。
長辻通りの、当時まだ営業していたマクドナルドのあった一画で、
「舞妓さんと一緒に写真が撮れますよ。如何ですかぁ・・・」
と客引きをしていた。
「あれ、ミズムシ君とちゃうの?」
「そや、いつもおるねん。雨の日も風の日も」
土砂降りの雨の中で傘を差しながら。
カンカンの土用照りの陽射しの下で。
凍てつくみぞれが降る中、首をすくめながら。
「舞妓さんと一緒に写真が撮れますよ。如何ですかぁ・・・」
目が合っても、こちらのことをわかっているのかいないのか。
口許に微笑みとも引き攣りともつかない「何か」をうかべながら、
「舞妓さんと一緒に写真が撮れますよ。如何ですかぁ・・・」
大学を卒業して嵯峨を離れているうちに、マクドナルドも閉店し、「たけしのカレー屋」もなくなり、「美空ひばり記念館」も閉鎖され、ミズムシ君もいつの間にか姿を消していた。
「ミズムシ君って覚えてる?最近この辺で見かけへん?」
「いやぁ、知らんなぁ・・・。オマエ、ようわかったなぁ。俺らのひとつ上やから、ええオッサンやろ。風貌変わっとるやろ?」
そう言われて気がついた。
ミズムシ君はあの時のままだ。
高校生のままのミズムシ君。
「そんなわけないやろ」
確かに。じゃ、あれは誰だ。息子か?
気づいたことがもうひとつ。
ミズムシ君は夏にしか現れない。
梅雨の頃から紅葉が終わるころまで。
そしてもうひとつ、決定的なことに気づいた。
僕は水虫持ちである。
営業マンとして革靴を履いて、神田の問屋街を歩き回っているうちに罹ってしまった。
京都に戻って普段からスニーカーを履くようになってだいぶマシになったが、それでも夏になるとムズムズしてくる。
水虫にもいろいろあるみたいだが、僕の場合はまず足の裏にポツポツ赤い発疹がでて、だんだん痒くなってくる。
それでも放置しているといつの間にか発疹が破れて中から(たぶん)白癬菌がいっぱい入った粘液が滲みだしてくる。
「これ塗ってみ。よう効くで」
当時のタウン誌の編集長が薦めてくれた水虫薬が「ハクセンバスター」。
ひどいネーミングだがよく効いた。
梅雨に入ってポツポツが出始めると早めに塗った方が良い。
一日おきくらいに塗っているとポツポツの赤みがなくなってきて、かさかさし始める。
それでも塗り続け、なるべく靴を履かずにゴム草履とかを履くようにしていると、やがて白く乾いて足の裏の皮がポロポロ剝がれ始める。
そうなったらひと安心だ。
でも油断してハクセンバスターを塗るのをサボっているといつの間にか赤いポツポツがまた現れる。
するとまた塗る。
そうこうするうちに夏が過ぎて秋が来て、紅葉のシーズンが終わる頃には症状がなくなる。
次の夏まで、白癬菌も冬眠に入るのだ。
「ほんで、何に気づいたんやねん?」
あ、そうそう忘れてた。
ミズムシ君が現れるのは毎年梅雨に入ってから。
足の裏がムズムズし始めるころ。
取材でJR嵯峨嵐山の駅前にいると、乗降客に紛れてこっちを見ている。
僕が気がつくとどこかに姿を消す。
気がつくのをじっと待っていて、気づいた瞬間に絶妙のタイミングで姿を消すかのようだ。
でも、ハクセンバスターを塗り始めると現れる頻度は下がる。
薬が効いてきて、足の裏がかさかさになると、しばらく現れない。
お、ミズムシ君。久々に現れたな!
と目撃情報が入ると(自分で自分に対してだけど)、足の裏にはまた赤い発疹ができているのだ。
「ホンマかいな?そうとう怪しいなぁ・・・」
そんなことないって。ホンマやって!
今年も夏がやってくる。(了)