見出し画像

捨てるための日記_01『幸福とは何か』を読んで

朝から一日雨。
薬をもらうために病院へ行く。薬の効果を確認するための血液検査をするが、血を抜かれるための注射が嫌い。

■『幸福とは何か』森村進(ちくまプリマー新書)

連休中から読んでいた『幸福とは何か』森村進(ちくまプリマー新書)を読み終える。図書館で借りた本なので週末には返却しなくてはならない。

序章が丁寧。目次にある””人生論ではない「幸福の哲学」””は大事。ここを読み飛ばすと「思っていた感じと違う」となりそう。
なんせ””こうすれば幸せになれる””的な内容の本ではないのだから。
1章から3章まではそれぞれ快楽説、欲求実現説、客観的リスト説の説明。4章はそれらを組み合わせた折衷説、5章は幸福と時間についてについて書かれている。
最近の入門書は「興味のある章のどこから読んでも大丈夫」というのがあるけれど、この本は最初から通読しないとわからない。わかりやすくは書かれているけれど、1回読んで理解できるほど幸福論は易しくない。
ノートをとったほうがいいんだろうなとちらっと思ったけど、幸福論にそこまで手はかけられないと思ってやめた。また興味が出たらここに立ち戻ることにする。

■個人的に興味を惹かれた個所

人が最初から欲求を諦めていれば欲求の非実現をなくせるし、欲求の水準を下げておけば欲求を実現しやすくなるが、そのことは当人のウェルビーイングを高めることにならない

2章 状況に「適応」する欲求 p80

これは「適応的選好形成」という概念で、実行可能な選択肢が貧弱である場合に、そこからでも十分な満足が得られるように自分の選好を変えることをいう。社会学者ヤン・エルスターが最初に提唱した。
もちろん今自分が置かれている現状に合わせて欲求を変えることは日常的に行っていることだし、道徳的に全く問題はない。
しかしこの適応的選好形成は、魅力的でない状況を想定したとき、本人の自律性を損なうから望ましくないと評価される。
これは昨今の日本の現状を多少なりとも言い当てていると思う。社会全体に諦めムードが漂って、自分はこの程度しか行けないと思ったとき人はそこそこの幸せで満足するすべを覚える。これで幸せなんだ、これ以上望んで苦しむよりいい。そういう感覚。

そして近代からの女性たちは、適応的選好形成と社会的な不正のあいだで戦ってきたんだと思う。私は参政権や雇用機会均等法を思い浮かべる。
今だって女性管理職は少ない。政治家も男性が多い。「今まで女性がいなかったから」で女性に拒否反応を示す世界は少なくない。そういう場所を諦めてきた女性は多いだろうし、別の道を選んで幸せを得たということもあるだろう。

けれども私は、能力以外の要素で欲求実現が阻まれるのは好ましくないと思う。そこは多くの人が同意してくれるとも思う。

幸福論は個人の幸福について哲学するものだが、幸福論の重要さは社会を構成する具体的な人々の個人的利益につながっている。福利の向上だとか、公平さとか。

読みが浅くて一部分しか拾えなかったけれど、幸福について多少考えていた。今もまだ雨は降っているけれど、明日の明け方にはやみそうだ。

この記事が参加している募集

#読書感想文

190,781件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?