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トレイルランニングとゴシック音楽

トレイルランニングは、静寂の自然の中で自己と向き合う時間だ…と言われることが多い。しかし、私のトレイルランニング体験はまるで真逆。トレイルの始まりと共に、耳元で流れるのは、重厚なゴシック音楽。低音のドラムとギターが、心臓の鼓動と同じリズムで高鳴る。「ランニングのリズムを整えろ!」というアドバイスは誰もが口にするけれど、どうやら私は、黒い衣装に身を包んだベースの重低音でリズムを整える派だ。

朝の霧がかかった山道を駆け上がると、まるでドラキュラの城に向かう旅路のように見える。薄暗い森の中を突き進む度に、頭の中ではシンフォニックメタルが壮大に流れ、まるで自分がゴシックホラー映画の主人公にでもなったかのようだ。足元をかすめる木の根や岩場も、ただの障害物ではない。それは「運命の試練」。ゴシックのドラマティックな旋律に乗って、ひとつひとつ超えるごとに、勝利の気分が増していく。

特に登り坂がきついときには、心の中でゴシックバンドのヴォーカルが囁く。「苦痛こそが生の証だ…」「永遠の闇へと誘う…」。いやいや、闇へは行きたくない。ちゃんとこのトレイルを完走したいだけなのだが、そういう陰鬱な歌詞もなぜかトレイルランの追い風になる。ゴシックの世界観とトレイルランは、奇妙なほど相性がいい。自然の美しさとゴシックの暗さが、絶妙なバランスで頭の中に広がる。

下り坂に差し掛かると、音楽はテンポアップ。つま先で地面を蹴りながら軽快に降りるが、気を抜くと一瞬で足元がすくわれる。まるで「常に油断するな!」というゴシック音楽の教えを体現しているかのようだ。何度か危うく転びかけたが、これも一つの「儀式」だと勝手に思い込んでいる。

トレイルの最終地点が見えてくる頃、ゴシック音楽はクライマックスを迎える。最後の一歩を踏み出し、ゴールの地に足をつけた瞬間、頭の中ではオルガンが鳴り響く。まるで教会で結婚式が始まるかのような壮大なフィナーレ。走り切ったという達成感が、オルガンの音色に乗って高まる。

結局、トレイルランニングは自己との対話の時間かもしれない。しかし、その対話がゴシック音楽と一緒だと、ずいぶん違った味わいになる。「自然の癒し」などという甘美な言葉では表現できない、ちょっと暗めで、でもエネルギッシュなランニング体験。次回はヴァンパイアメイクでもして走ってみようかと、密かに思っている。

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