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「日本で唯一」の女性のための婦人保護長期入所施設を訪ねて。いつ暴力のない社会は実現するのだろう“はふぽのコラム”

こんにちは。ハフポスト日本版の榊原すずみです。
「“暑い”と1回言ったら、罰金100円ね」なんてゲームをしていた子ども時代(こんなゲームをしていたのは我が家だけかしら?)を思い出すような暑さが続いていますが、みなさん、体調を崩していないでしょうか?

今年は新型コロナウイルスの影響もあって、海水浴やプールといった涼を楽しむ術もない、厳しい夏です。

さて、そんな厳しい夏をお過ごしの皆様に今週お届けするのは、「暴力」や「傷」がテーマの3本です。

日常生活の中で、誰かのちょっとした言動に傷つくことは誰しもあります。それでも心の傷が回復するのに長い時間を要することもあるでしょう。
それがもし、圧倒的な暴力によってつけられた傷や、自分たちにはどうしようもない種類のものだったとしたら…。

もし自分だったら、是非そんな風に想像力を働かせて読んでいただきたい3本です。想像力を働かせても、その想像よりもはるかに上を行く現実が、そこにはあることも、どうか知って欲しいと思います。

おすすめ①
「日本で唯一の婦人保護長期入所施設」かにた婦人の村を訪ねて。92歳の奉仕女・天羽道子さんは語る

かにた婦人の村。
この名前を聞いて、どんな場所かご存知の方はそんなに多くないと思います。ここは日本で「唯一」の婦人保護長期入所施設。
つまり性暴力など、性暴力に傷ついた女性たちが保護され、療養し、社会復帰を目指す場所です。
かにた婦人の村の入所者の多くは軽度の知的障害などを持ち、性被害や虐待の当事者でもあります。その歴史は古く、半世紀以上。
20代から80代まで、60人ほどが生活をしています。

この施設の特徴は、一般的なシェルターと異なり、「長期」の保護施設であること。
知的障害があり、社会復帰が難しい人たちや、そのあまりの傷の深さから簡単に社会に戻れない人々が暮らしているのです。

そんな、かにた婦人の村で、長い間傷ついた人たちの心と向き合ってきたのが、現在92歳になる、奉仕女・天羽道子(あまはみちこ)さんです。

今回、ライターの小川たまかさんと、実際にかにた婦人の村を訪れ、天羽さんにお話をお伺いしてきました。
天羽さんが語る、言葉ひとつひとつには傷つけられた日本の女性たちの歴史が刻まれています

性暴力の被害者が救済されず、加害者がきちんと裁かれないことの多い、現代の日本社会。
その現実を、もう一度、天羽さんの言葉と共に考え直してみてください。

おすすめ②
十数年間、同じ家で暮らし、私に暴力を振るいつづけた父。もう2度と会うことはないはずなのに…

私は、父の人となりをほとんど何も知らない。
覚えているのは、毎週末のように怒鳴り合っている両親の姿に父からぶたれて泣いている母。
お風呂場で父に押されて額を打ち、血みどろになっていた弟。
投げられる箸と皿
」。

文筆家のあたそさんは、子ども時代を振り返り、そう綴ります。
こんな風に書いている、あたそさん自身も父親から十数年、暴力を受け続けました。

そんな家庭環境の影響もあり、あたそさんは自分が作る家族のイメージが湧かず、結婚にあまり興味をもてなくなったと以前、インタビューで答えています。

あたそさんから原稿をもらって驚いたのは、父親の数々の非道な暴力だけではありません。
あたそさんの父親は、あたそさんが生まれたとき、会社を休み、産婦人科にて出産を見届け、初めてあたそさんと対面したとき、涙を流したというのです。

それが、なぜこんなことになってしまうのか。私の理解の範疇を超えてしまいました。

家族っていったい、なんなんでしょう。
血が繋がっていれば、それだけで家族なのでしょうか?
それならば、あたそさんと、あたそさんに暴力をふるい続けた父親も家族ということになるのでしょうか?

おすすめ③
『24時間テレビ』が嫌いだった。聴覚障害者の息子として生まれたぼくがいま思うこと

「感動ポルノ」。
そんな言葉を聞いたことがある人は少なくないのではないでしょうか。
これは、2012年に障害者の人権アクティビストであるステラ・ヤングが、オーストラリア放送協会のウェブマガジン『Ramp Up』で初めて用いた言葉です。
障害やその負担、障害者本人の思いではなく、積極的・前向きに努力する(=障害があってもそれに耐えて・負けずに頑張る)姿がクローズアップされ、「清く正しい障害者」が懸命に何かを達成しようとする場面をメディアで取り上げることを言います。

聴覚障害のあるご両親を持つ、五十嵐大さん。
聴覚障害者を演じる俳優が映し出されたテレビを見て、母親が
「私たちって、なんだか可哀想な人みたいだね」
と言うのを耳にします。
五十嵐さんは、それ以上番組を観続けることができなくなり、テレビを消したそうです。

それ以来、聴覚障害者がテーマになる番組を真っ直ぐに観ることができなくなってしまいました。当時「また、障害者を感動コンテンツにしている」と感じていた五十嵐さんは、今、「これを機に、障害者について知ってもらえるかもしれない」と捉えることができるようになったと言います。
そのきっかけはぜひ、記事を読んで確かめてみてください。

ただ、だからといって障害者との交流がほとんどない私のような人間が番組を見る時、決して忘れてはいけないことがあると、五十嵐さんは綴ります。

障害者の日常は健常者を楽しませるための消費コンテンツなんかではない。そのことを絶対に忘れないでほしい。

健常者の日常と障害者の日常は、別の世界にあるものではありません。
同じ空間で、溶け合って、同時に存在しています。
それは決して特別なことではなく、いま、もしかしたらあなたの隣に障害のある方がいるかもしれないのだから…。



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