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普通になりたかった過去。 そこから救ってくれたのは社会の規範に抗う人々の、ストーリーの力でした。

Impact HUB Tokyo(IHT)は起業家による起業家のためのコミュニティ。
そんなコミュニティの存続に欠かせない存在なのがコミュニティ・ビルダーです。
#IHTの中の人紹介 は IHTで働く人々にフォーカスを当て、人物像を深掘りするシリーズ連載です。今回は2018年からコミュニティ・ビルダーとしてチームに参画したKodyさんにインタビューを行いました。

今では「クィア」というセクシュアリティを自認し、オープンに働いているKodyさん。しかし、高校時代に周りとは異なる自分のセクシュアリティに気づき、「あの頃は必死で『普通』になりたかった」と語る過去を持ちます。

思い悩んだ日々を経て 英語圏のYouTubeでカミングアウトの動画を観たことがきっかけで自身もカミングアウト。高校、大学、大学院を合わせてカナダ、スウェーデン、イギリスの3カ国に留学し、大学院ではメディアにおけるジェンダー、セクシュアリティの表象について研究。日本に帰国してからは、自分のアイデンティティをオープンにして働ける、多様性を求めている場所を探してたどり着いたIHT。

「自分のこのアイデンティティに対して何か言ってくるような企業はこちらから願い下げだったんです。なかなかの上から目線ですけどね笑」

「カミングアウトするまでは自分のことを周囲に開示できなくて一人で悩んでいたので、その経験や視点は、起業家伴走に生きるなと思っているんです。」

自分のアイデンティティをオープンにし働くまで、一体どんなストーリーを歩んできたのでしょうか。そして、何がきっかけでコミュニティ・ビルダーとして働くことになったのでしょうか。KodyさんのWhyに迫っていきます!

Kody
Community Builder, Marketing & Program Facilitator

社会学的な観察眼と言語化能力を活かして起業家一人一人のストーリーや暗黙知を言語化することでコミュニティに貢献。ユーザー体験に重きを置いたイベントやプログラムのファシリテーション、マーケティング戦略に加え、最近では外部団体とのコミュニケーション戦略も兼任。イギリスの大学院でジェンダー&メディア学を研究した後、2018年からチームに加入。学生時代からジェンダー、セクシュアリティ、人種などの社会的マイノリティによる社会運動に携わっているが、今後はより持続的で効果的な社会運動の方法を探るため、マーケティング・ブランディング戦略を身につけようと日々、修行中。

高校でのセクシュアリティへの気づき


——年の離れた姉が二人いたことで、小さい頃からおままごとをして遊んだり、おさがりで中性的な服を着ていたというKodyさん。中学時代までは自分の性のあり方をあまり意識したことはなく生活を送っていました。いつごろ、自分のセクシュアリティに気づいたのでしょうか?

「高校時代に1年間カナダに留学していたのですが、そのあたりで女性が恋愛対象ではないということに徐々に気がついてきました。でも高校にいる間は誰にも何も言えなくて。一度自分が人とは「違うんだ」ということに気がつくと、多感な時期にはその違いが本当に恐怖で。これは「隠さなければいけないものなんだ」という気持ちが強く、自分の殻に閉じこもっていました。その内にどんどん自己嫌悪が蓄積していって、死のうと思ったことが何回かありました。」

思い悩んだ日々を過ごしましたが、卒業の際、親友にカミングアウトをすることに。あえて卒業後を選んだのはもし嫌われたりシカトされたらもう会わなくて済む、というのがあったから。

「最初は2時間くらいは話せなくてやっと実は...とカミングアウトしたら、『そんなことだったんだ、なんだ!』とあっけらかんと言われてすごく嬉しかったんですよね。親友は私が病気になったり、犯罪を犯したのかと思ったらしいんですよね笑」

——ちなみにカミングアウトした当時は、男性の同性愛者を表す「ゲイ」という言葉を使っていたそうですが、いまでは「クィア」というアイデンティティを自認しているとのこと。どういう違いがあるのでしょうか?

「クィア(Queer)とはもともと『風変わりな』『奇妙な』という意味の言葉であり、欧米では主にレズビアンやゲイ、トランスジェンダーの人々に投げかけられる『ヘンタイ』や『オカマ』という意味の蔑称でした。

しかし、それを逆手に取って、当事者たちがセクシュアルマイノリティ全てを包括する言葉(総称)として、そして、抵抗や連帯の合言葉として用いるようになった言葉です。私は、自分自身の性別を必ずしも「男性」と自認していません。なので男性の同性愛者を指す「ゲイ」というアイデンティティが当てはまらないなということに勉強していく上で気がつきました。

そもそも私たちを男女という二元論で分け、様々な偏見や期待、しがらみ、そして構造的な差別を生産している現代社会の考え方に辟易しています。そういった意味で性別を指定せず、しかも、抵抗の意味やその歴史を内包している「クィア」という言葉がしっくりくるんです。」

大学は秋田の山の上で英語漬け、スウェーデンへの留学も

——高校卒業後は、どういった進路を歩まれたのですか?

「高校時代にカナダに留学をしていたので、海外の大学もありかなって思っていたんです。カナダでは、授業中に積極的にディスカッションが行われます。側からみると、一見不良っぽい生徒でも授業中に差されたら、ちゃんと自分の意見を言うんです。この教育ってすごいと思いました。

日本で自分が受けてきた教育は、板書をとって、方程式を習って、暗記して、練習問題を解いて終わり。ディスカッションが一切ないんですよね。カナダのような方式でないと自分の中に本当の意味での「使える知識」が身に付かないと思ったんです。

これからのグローバルの時代、意見を言えないと生きていけないと思って。それが身につけられると思い、少人数制のディスカッション形式を取り入れているその大学を選びました。

秋田の大学では専門を狭めず、幅広い教養の科目を取るような形式。5年間リベラルアーツを取って、すべて英語で受講します。日本にいながら英語圏の大学にいるような勉強ができる場所だったんですね。

スウェーデンのジェンダー平等、サンボ制度、結婚の平等を間近に見た留学時代


——大学では周りの人にカミングアウトすることはできたのでしょうか?

「大学時代も自分のセクシュアリティについては、3年間誰にも言えなくて悩んでいました。罪悪感もありましたね。恋愛の話になった時に嘘を付かなきゃいけなかったり。あとは何かしらコアな部分を隠しているから仲良くなれない、ということがあったと思います。」


大学3年時には卒業要件である二度目の留学へ。英語が使われている国で、福祉や教育のシステムが日本や北米とは異なるスウェーデンを選んだKodyさん。

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(スウェーデン留学で仲良くなった友人たちと)

——そこでジェンダーやパートナシップに対して、日本との捉え方の差を目の当たりにします。具体的にどう日本と違っていたのでしょうか?

「スウェーデンは、ジェンダーの問題に対して多くの人々が当事者意識をもって考えている社会でした。女性の社会進出率、父親の育児休暇取得率も非常に高いです。意識が高いからというよりは制度的にジェンダー平等の価値観が浸透している。育児休暇でいうと、両親が二人とも休暇を取る方がお得になる様に出来ています。またサンボ法というパートナーシップの制度があって、これは同棲者に対して婚姻している夫婦同様の権利や保護を与えるものです。この法律の施行後に、スウェーデンでは出生率が上昇したと言われています。」

「スウェーデン人の友達から、『最近知ったんだけど、うちの親、結婚していなくてサンボだったんだよね!』と聞くことがあってびっくりしました。ジェンダーやパートナーシップに対する価値観や制度自体が初めて体感するもので、とても興味が湧きました。

この体験がこれからの人生を変えるひとつのきっかけに。

YouTubeを駆使して自分たちのストーリーを発信するマイノリティの当事者たちに救われた


Kodyさんが自分のセクシュアリティを前向きに捉え、オープンに生きるもうひとつのきっかけになったのは、YouTubeのカミングアウト動画。そこでも海外と日本との差を目の当たりにします。

「ある日、『カミングアウト』と検索したら、YouTubeで英語圏LGBTQ+の人々が動画を上げているのをたまたま見つけたんです。宗教と自分の性のあり方の間で悩んできた人たち、親にカミングアウトをする様子を撮影したものや、セクシャリティをオープンにした上で幸せそうに暮らしている動画などなど、たくさんのポジティブな当事者たちのストーリーがそこには広がっていました。

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(当時、勇気をもらったYouTuberのカミングアウト動画)

一方、その頃の日本ではまだYouTubeは下火の時代。主流なメディアであるテレビや映画、雑誌などでは『オカマ』や『オネエ』、『ホモ』と呼ばれる人たちが一括りにされた上で笑いの対象や下品な人たちという表象がほとんどでした。

もし自分が異性愛者ではないとばれたら、虐めにあったり、気持ち悪いと思われるのではないかと、知らないうちに刷り込まれてしまっていたんです。そして自分の身近でカミングアウトしてオープンに暮らしている人を知らなかったので、この世の中で自分は孤独だと思ってもいました。ロールモデルとなる人がいなかったから、自分の中でもこのセクシュアリティと共に幸せに生きていけるイメージが付かなかったんです。

そこがメディアでの表象って非常に影響力があるなと思った一つのきっかけですね。YouTubeで自分たちのことをポジティブに発信している地球の裏側に住む当事者たちに救われた。ポジティブでいいんだ、オープンでいいんだ、自分をもっと愛するべきなんだと教わりました。このようにオーセンティックでポジティブな表象は、死にたいと思っていた子に自信をもって生きさせることができるすごいものなのだと強く感じると共に、自分もカミングアウトしようと決意しました。」

その後、スウェーデン留学中にSNSをつうじてカミングアウトし自分を解放。周りからの反応もプラスなものばかりだったそう。

「その経験が元になって大学院ではメディアとジェンダーを掛け合わせたものを研究しようと思いました。それが大学の5年間を経て、自分が極めたいと思った専攻でした。2018年までイギリスの大学院で「男らしさ」や「女らしさ」、マイノリティに対するイメージなどがメディアの中でどう表象されているのかを研究していました。

また、テレビや映画などの主流メディアではなく、インターネット上のプラットフォームやSNSでどうやったらマイノリティたちが自分たちのストーリーを発信していけるのか?ということも現地で学びました。その後、日本に帰国しました。」

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(大学院のあるイギリス、ブライトンでのプライドパレードの様子)

就活の関心表明でもカミングアウト、けど一切触れられなかった面接の話

帰国後、友人に求人記事を紹介してもらったことがきっかけで、IHTのことを知ったKodyさん。

「2年以上の実務経験がないと応募できなかったんですよ。でもどうしても興味がある会社だったので、関心表明という形でアプローチしました。というのも元々、大企業で働くつもりが一切なかったし、自分は自分として持っていたいし、俗に言う日本社会の『しがらみ』に染まりたくないという想いがありました。

あと自分のアイデンティティをオープンにして働きたいと思っていて、そうではなさそうなところは候補から外していました。その想いがあったので、関心表明でカミングアウトをしたんです。それが私の武器であり身を守る盾でした。そこで何か言ってくるような企業はこちらからお断りしようと思ったんですけど、面接ではそこに一切触れられなかったんです。ただ読んでいないとか、臭いものには蓋をしろみたいな感じではないというのは質問の聞き方や対応でわかりました。」


——面談を思い出して印象に残っている質問はありますか?

「『あなたにとって家族とはなんだと思いますか?』という質問です。『家族とは血の繋がりではなくて自分で選びとったコミュニティのことだと思います』と答えました。

『欧米ではセクシュアリティをカミングアウトをすると、宗教を理由に家族や親戚から疎遠になる当事者も多く、最悪の場合には勘当されてしまってストリートチルドレンやホームレスになる人もいます。そう言う人たちが自分たちの手でコミュニティを作り上げて、血の繋がりではなく、自分たちで選び取った家族のことを”Chosen family”と言うんですが、そういうコミュニティが私にとってファミリーだ』と答えました。

その話に対して『おもしろいね』って代表の槌屋詩野さんがいってくれて、これからチームで働くからどういう人が入ってくるか見たかったんだよねというのを言っていたんです。面接を受けてここでぜひ働きたいと思いました。」

——結果、業務委託を受けつつ試用期間を経て、2018年の8月にコミュニティ・ビルダーとして正社員に。一般企業とは違い、スタートアップを選んだ理由は何なのでしょうか。

「スタートアップで働くことは高山トレーニングのようなものだと思っています。アスリートが標高が高いところでトレーニングをして、本番は標高が低いところでやると力がでるのと同じで、物事が進むスピードは早いし、アジャイルな展開に悩まされることもあって、きついこともある。でもだからこそ、実力がつくと思いました。」


——学生時代から社会運動に携わっていたけれど、NPOや自助団体という道を選ばなかったのはなぜでしょうか。

「HUBのホームページや代表の槌屋詩野さんの取材記事を読んで、ビジネスの軸が無いと、自分が問題意識をもっていることに持続的にアプローチできないということに気づきました。NPOや自助団体が社会的に意義のある活動を行なっていても最終的にはお金がなくなって活動をやめなければならないことは、多々あります。

しかし、そこに地に足のついたビジネスモデルがあり、効果的なブランディングやマーケティングが刺さったら、社会問題にアプローチしながらもそれをビジネスとしてやっていけるし、働いている人にも給料がでるし、与えられるインパクトも大きく持続的に続けられるんだなって気づいたんです。」

「面談のときには、『君はずっと社会運動をやっていたみたいだけど、NPOとかじゃなくていいの?うちは起業してる人たちが集まる場所だよ?』と聞かれたのですが、『今まで私は資本主義を斜めに見ていて、毛嫌いしていたから全然ビジネスについて考えてこなかった。だから、むしろビジネスを勉強したくてここに来た。ここじゃないと意味がないんです。』と伝えました。

自己開示できずに一人で悩んでいたことが起業家伴走に生かせる

——お話を聞いている中で、「普通を問う」だったり、「しがらみからの解放」というのがKodyさんの今までの活動の命題なのだなと感じましたが、それらが今のコミュニティ・ビルダーのお仕事と関連している部分は何かありますか?

「そうですね、ステレオタイプによって可能性を狭めてしまったり、選択肢がないと思い込んだり、しがらみに捉われてしまって人が人らしく生きられないという状態を解放していきたいと思っています。実は、起業家もさまざまなしがらみに捉われていることが多いんです。

私は男らしさや女らしさ、異性愛中心の社会、ステレオタイプや偏見ということに着目して活動してきましたが、世間や投資家による起業家に対する期待やハードルのあげ方だったり、起業家自身が悩みをなかなか周囲に開示できないということに少しシンパシーを感じるんです。それはかつて自分が周りの目を気にして、自己開示できずに一人で悩んでいたから。その経験や視点は、起業家の伴走に生きるなと思っているんですよ。

起業家が事業を起こすというアクションを取るときに必要な自己分析、コミュニティからの協力やコラボを得るために必要な自己開示、そしてステークホールダーやユーザーに自分のストーリーを伝えるために必要な言語化の能力。そこの部分の伴走は特に力を入れて取り組んでいるつもりです。

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(起業家が集まるコミュニティにてミートアップを開催している様子) 

起業家とImpact HUB Tokyoのストーリーを紡ぎ続けたい

最近はマーケティングやブランディングの仕事が増えてきたKodyさん。IHTのストーリー戦略も年々進化をしているようです。

「ストーリーをどう紡ぐかが求められる仕事だと思っていて。起業家向けもですが、特にここ1年はIHTのストーリー戦略に力を入れています。執筆作業だったり、インタビューで動画を作ることだったり実際に手を動かす仕事も多いですが、エコシステムの動向を捉えながら会社全体のストーリー戦略を考えるのが面白いです。チームが日々議論していること、コミュニティと向き合って感じたこと、そして世界の大き流れに対して私たちはどう一石を投じていくのか。それを引き出し、言語化し、発信していく。それを丁寧に、だけど恐れずにアプローチしていきたいなと思っています!」

社会の「普通」というしがらみに苛まれ、自分を解放できずに悩んでいた10代から、今では自分のセクシュアリティをオープンにし、経験を生かしながらコミュニティ・ビルダーとして働いているKodyさん。

「真の家族とは選び取るもの」という話がありましたが、自分が外に出したい表象も自分で掴み取り、そして、自分が働く場所も自分で選んできた生き方がとても印象的でした。

さて、今回のチームメンバーインタビューも内容が濃いものになりました。今までのImpact HUB TokyoのTeam Members の記事は#IHTの中の人紹介 にも掲載中ですのでこちらもぜひご一読ください。
次回はどんなチームメンバーが登場するのか?乞うご期待ください!

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