パン粉はパンからできている。
タイトルを見て、大半の方は「当たり前のことを取り立ててどうした?」と思うかもしれない。
でも、魚は切り身で泳いでいると本気で信じている子供がいたり、鶏肉が何の鳥の肉なのかわからない大人もいる中で、一人くらいはパン粉がパンから出来ていることを知らないという人もいるのではないか、そう思った次第である。
さらっと文章にしてしまえば、確かに当たり前としか思えないことだが、私自身がそのことを忘れていた張本人なので、ここに確実に一人はいることになる。
さて、久しぶりに揚げないコロッケを作ろうと思い立ち、じゃがいもはもう買ってあったので残りの材料のひき肉を買ってきた。
具材はシンプル。
帰宅後、今週の献立をざっくり考える。
今回みたいに事前に作りたいものが思い浮かんでいることもあるけど、基本的にはそのときいいなと思ったものを買ったあとで、それらをどうさばいていくかと考えるスタイル。
もちろん、買い物の出来によっては週の後半に困ることも多々ある。そういったときは無理やりなんとかするから、ちょっとヘンテコな献立になることもある。
「よし、コロッケは明日にしよう。」
じゃがいもよし、ひき肉よし、調味料よし、パン粉よ…し…?じゃない、パン粉がない。
やっちまった。またやってしまった。何かしらの買い忘れはいつものことだけど、いつも同じように悔しい。
買い忘れたものだけ買いに行くのは、負けた気がするから避けたい。かと言って他は済んでるから余計な買い物はしたくない。
しょうがないから近くのコンビニにお散歩がてら買いに行くか…?いやたぶんそれも負けだ。
うーん…
💡(ここで気づきます)
「パン粉ってパンじゃん!作っちゃおう!」
おうちにあった食パンをお皿の上に放置し、乾燥させることに。
次の日、充分に乾燥させたパンをミキサーで適当に砕いたら完成。
「パン粉が目の前に…!」
大したことはしてないけど、ただ買ってくるだけではわからなかったありがたみを、じわりと感じます。
マヨネーズで炒って、程よく焦げ色がついたら、あとは合わせて下味をつけておいたじゃがいもたちにかけて食べるだけ。
手作りで作ったパン粉、なんだか愛らしく思えてきました。
こないだはめんつゆを買い忘れて、そのときもレシピを調べて作りました。
めんつゆも、万能すぎて「めんつゆ」っていう独立した調味料に思えてきますけど、醤油やみりんを合わせたものだから自分で作れるんですよね。
いろんなものがどんどんと便利になっていくから、その過程のありがたみが急速に薄れる中、気が向いたときに無理のない範囲で自分でもできそうなことをやってみるのは、とっても有意義なことだなと思います。
あえて手をかけて作り出すことのおもしろさというか、感慨深さを感じられる良い機会になりました。
買い忘れを有意義な時間へと昇華。
勝った…!