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匿名ピア賞賛ネットワーク: 個人の「見えない貢献」と組織の「見えない力」を可視化する人事評価ツール -後編-

前編(こちら)では、匿名ピア賞賛ネットワーク(Peer Prize AnonyNet)について、以下の点を中心に解説しました:

  1. 匿名ピア賞賛ネットワークの基本概念

  2. 大学ゼミでの実践例と解説

  3. システムの主な特徴(匿名性、多角的評価、ポイント配分、視覚化)

  4. 従来の評価システムとの比較

前編を通じて、このシステムが個人の「見えない貢献」と組織の「見えない力」を可視化する可能性を持つことなどをお話ししました。

後編では、仮想的な企業組織での実施と分析を通じて、匿名ピア賞賛ネットワークの実施方法、データの分析、結果の解釈と活用方法について詳しくお話ししたいと思います。また、導入時の注意点や対策についても触れたいと思います。Here we go!

企業での匿名ピア賞賛ネットワークの例

匿名ピア賞賛ネットワークの企業での活用可能性を、ある仮想的な企業での実施シナリオで、一緒に考えていきましょう。

導入の背景

200名規模のある企業を考えます。この企業には、営業部(20名)、マーケティング部(10名)、商品開発部(12名)と、その他の部署があるとします。各部署にシニア(上級職)とジュニア(下級職)社員が在籍しています。

この企業では、部門間の連携強化と、社員の「個々の成果」だけでは捉えられない人材の多面的評価の必要性を感じています。そこで、人事部門が中心となり、匿名ピア賞賛ネットワークの導入を試みます。主な目的は以下の2点です。

  1. 主に営業部・マーケ部・商品開発部における、部門を超えた仕事の連携や信頼関係の可視化

  2. 公式な役職とは異なる、影響力のある人材の発見とその活用

アンケート方法

  1. 営業・マーケ・商品開発部の全社員(42名)に匿名のアンケートを配布

  2. 回答者の属性:所属部署とシニア/ジュニアの区別のみを回答

  3. 質問内容:「$${X}$$部の社員のうち、あなたが仕事において信頼できる・頼りになった人を最大3人まで選んで、100点をその思いの強さに応じて分配してください」。$${X=\{営業, マーケ, 商品開発\}}$$が入ります。

  4. 選択肢:それぞれの質問に対して $${X}}$$部の全社員名と「対象者なし」の計21選択肢

この容量だと、自分の所属部署と階級、そして3問の質問に答えるだけなので、2〜3分あれば誰でも回答を終えられるでしょう。

データの処理とネットワーク図の作成

アンケートから得られたデータを以下のステップでまとめます。

  1. 各$${X}$$部社員の総得点を計算

  2. 得点上位5名(TOP5)を抽出

  3. TOP5のノードを得点に比例した大きさで中央に配置

  4. 回答者(全社員)ノードを外周に配置し、評価点に応じた太さのエッジで接続

  5. 回答者ノードは部署と職階で色分け(営業:水色、マーケティング:ピンク、商品開発:緑、シニア:四角、ジュニア:丸)

このステップにより以下の TOP5 賞賛ネットワーク図を描くことができます。作図については、Pythonなら「NetworkX」(ネットワークの作成と視覚化に必要)、「Pandas」(データの読み込みと操作に必要)、および「Matplotlib」(グラフの描画に必要)を使えば簡単にできます。

TOP5 賞賛ネットワーク

目を凝らして見れば、この図からでも理解できることは多いのですが、一度このTOP5のメンバーについて、それぞれ「個々の賞賛ネットワーク」に分解してみましょう。

賞賛ネットワーク(TOP5 個別)

この図では営業部のTOP5メンバーのみの個別ネットワークを表示していますが、もちろん、全社員についてそれらを作図することも可能です。、それを評価された本人のみに提示するというような方法でモチベーション向上に繋げることも可能です。「誰かに認められている」感は、前編記事でもお話しした通り、嬉しいものです。

これで何がわかって、何の役に立つのか?

これらのネットワーク図は、営業部の社員が、具体的にどの部署のどのような階級の社員から、どの程度の信頼を得ているのか、を可視化しています。また、「個別の」賞賛ネットワーク図については、TOP5以外の社員についても、個別にそれらを開示することにより、前編記事でもお話しした通り、「自分が誰かから賞賛を受けている」ことを励みにすることができます(ただし、誰からも得点を分配されていない社員については、その個別開示は慎重になる必要があるかもしれません)。

具体的に、これらのネットワーク図からわかることは以下のようなものでしょう。

  1. 社内で最も信頼を集めているTOP5は、田中、鈴木、佐藤、木下、山田の5名。

  2. 鈴木と山田は営業部内での信頼が厚い。特に鈴木は同部署ジュニア社員から、山田はシニア社員からの信頼が強い。

  3. 木下は全部署のジュニア社員から幅広く信頼を得ている。

  4. 田中は商品開発部から、鈴木はマーケティング部から広く信頼されている。

  5. 佐藤は一部のジュニア社員から特に強い信頼を得ている。

これらの結果は、個々の社員の「組織に対する見えない貢献」を可視化するとともに、企業はこれらを以下のように役立たせることができるかもしれません。

  1. 部門横断プロジェクトのリーダーに田中を起用し、商品開発部との連携を強化

  2. 鈴木を中心に、営業部の若手育成プログラムを構築

  3. 木下を次世代リーダー育成プログラムに参加させ、将来の部門横断的なリーダーとして育成

  4. 山田を中心に、シニア社員の経験や知識を共有するための、営業部内のナレッジ共有システムを構築

マーケティング部、商品開発部の社員を被評価者としての同様の結果を、この結果と照合させることで、より深い洞察が得られることも想像に難くないでしょう。

また、このような TOP5ネットワークを公開したり、人事評価の一部として考慮することで、組織にどのようなポジティブな影響があるでしょうか。考えられるのは以下の点でしょう。

  1. 隠れた人材や影響力者の発見: 上司の目に映る姿や個々の業績ではそれほどパッとしない社員であっても、同部署や他部署との架け橋となって「他者の生産性を高めている」社員がいれば、その人材は高く評価されるべきでしょう。このシステムはそれを可視化する良いツールとなり得ます。

  2. 多角的で公平な評価の実現: 全ての社員による匿名の評価システムは、ある種の公平性を担保しています。また、誰もが「自分の評価を高めるために、自分に高得点を配分する」ことが可能ですが、極端な場合「たった一人のみから強い評価を受けている」という形でそれが可視化されてしまうことを考慮すれば、「自身のみに投票」のインセンティブはそれほど大きくないでしょう。

  3. 組織内のコミュニケーションやHELPの促進: このシステムを人事査定に含まないとしても、このような結果が可視化されることは、組織内でのコミュニケーションや HELP(同僚の生産性を高めること)行動を促進させるでしょう。個人間のつながりはそれが弱いものであれ、組織全体のパフォーマンスを高めうる要因となるでしょう(Granovetter, 1973)。

  4. エンゲージメントと組織文化の向上: どのような点についての評価(設問)を設計するのかによって、企業組織が目指すべき方向性、企業文化の浸透を促進させることができるかもしれません。また、このような匿名同僚による多角的な賞賛が、従業員のエンゲージメントを高める可能性もあります。

  5. 効果的な人材育成と配置の支援: 部内・部門間の評価ネットワークが可視化され、個々の社員の強みや影響力の範囲が明確になります。これにより、戦略的な人材配置や育成計画が可能になります。例えば、部門横断的な信頼を得ている社員を新規プロジェクトのリーダーに起用したり、若手から高評価のシニア社員をメンターとして活用したりできます。定期的な実施で、組織の変化に応じた迅速な人事戦略の調整も可能になります。

いかがでしょうか?繰り返しになってしまいますが、これらは ① 匿名回答による正直な回答とそれによる被評価者のポジティブな受容、② とても簡単な実施 によって得られるという利点を忘れてはいけません。

実施における注意点と対策

この匿名ピア賞賛ネットワークは、これまで話した通り、とても簡単に実施ができます。ただし、私も実施をして感じている問題点がいくつかあります。それらをリストアップして、考えられる対策も併せますので、それぞれの組織においてベストな実施の参考にしていただければと思います。

問題1: 人気コンテスト化の危険性

実際の貢献度よりも個人の人気や社交性に基づいて評価が行われる可能性があります。これに対しては以下の要素を考慮すると良いかもしれません。

  • 目的を明確に説明し、あくまで「(あなた)個人的に賞賛をおくりたい人」を選び、配点してもらうよう促す。

  • 複数の評価カテゴリーを設けることや、配点可能人物(説明では3名まで)の制限を広げることで、より多面的で広い裾野をカバーした評価を促す。

問題2: 匿名性の欠点

匿名性は、評価者にも被評価者にもポジティブな影響があると前編でもお話ししましたが、しかしながら、個人的な恨みや偏見に基づいた評価、または自分自身への過度な得点の付与が行われる可能性もあります。これに対しては以下の要素を考慮すると良いかもしれません。

  • 極端に偏った評価を検出するアルゴリズムを導入する。例えば、極端に高い配点(誰か1名に100点を付与しているなど)を除外したり得点に傾斜をつけたりする。

  • 評価に対する簡単な理由付けを求め、不適切な評価を識別しやすくする。

  • 匿名性の重要性と倫理的な評価の重要性について事前に説明する。

問題3: 評価疲れや形骸化

頻繁な実施や、過度に多くの設問は、回答者の負担増加と評価の質の低下をもたらす可能性があります。これに対しては以下の要素を考慮すると良いかもしれません。

  • 評価頻度を適切に設定し、重要なタイミング(プロジェクト終了時など)に限定する。

  • 評価プロセスを簡素化し、回答時間を短縮する。

  • 評価結果のフィードバックと活用を明確にし、参加意義を高める。

問題4: 心理的安全性への影響

このシステムによって、常に評価されているという意識がチームの心理的安全性を損なう可能性があります。これに対しては以下の要素を考慮すると良いかもしれません。

  • 評価の目的を「成長と改善」に焦点を当てることを強調する。

  • ポジティブな側面に焦点を当てた評価項目を増やす。

  • 評価結果の使用方法を透明化し、不安を軽減する。

問題5: 組織の分断

TOP5のような限定的な評価結果の公開が組織内の分断、セクショナリズムの顕在化、または嫉妬などの負の感情を生む可能性があります。これに対しては以下の要素を考慮すると良いかもしれません。

  • 結果の公開範囲を慎重に検討し、必要に応じて個人名を伏せた形で傾向のみを共有する。

  • TOP5だけでなく、様々な観点での評価結果を共有し、多様な貢献を認識できるようにする。

  • 評価結果を個人の成長や組織の改善に活用する具体的な方法を示し、ポジティブな側面を強調する。

おわりに

匿名ピア賞賛ネットワークは、組織内の「見えない貢献」と「見えない力」を可視化する強力なツールです。簡単な実施方法で、多角的な評価や隠れた人材の発見、部門間連携の強化など、多くの利点をもたらす可能性があります。

「自分はこの組織の誰かに評価されている」

それは「あの人」からの評価かもしれないし、「この人」なのかもしれない。この感覚こそが、組織へのエンゲージメントを高める重要な要素なのではないでしょうか。それではまた!

References
Granovetter, M. S. (1973). The strength of weak ties. American journal of sociology, 78(6), 1360-1380.

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