一人暮らしと発熱
大学生で一人暮らしを始めてから、初めて熱を出した時、わたしは一人暮らしの本質を知った気がした。
その感覚を、6年ほど経った今でもしっかりと覚えている。
自分で言うのもなんだが、わたしはわりに器用だ。一人暮らしを始めてすぐでも、レシピを見ればそこそこ手際良く料理ができたし、これといって一人暮らしで大変だと思うことはあまりなかった。徐々に一人で暮らす自信もついてきて、一人暮らし余裕だな、と粋がっていたものだ。初めて熱を出すまでは。
わたしは実家のある愛媛から、大学で神戸に出た。愛媛から神戸までは、バスだと香川を抜けて徳島を通り、橋を渡って5時間ほどかかる。そんなに近い距離ではない。
だから、大学2年の夏、初めて熱を出した時はとても心細くなった。
「あれ…?もしかしてもしかしなくても、誰にも助けてもらえないのでは…?」と感じた時、とても不安だったし、これが一人暮らしか、とその時初めて悟った。
頼れる人がいない、ごはんも自力で調達しないといけないし、病院にも自ら這って行かないといけない。
これが1人で生きるということで、一人暮らしということなのだ。
そんな心構えがなかった若かりしわたしは不安で心細くて、母にLINEをしたのを覚えている。
すぐに、「大丈夫?病院行った?」と、文面からすごく不安の伝わるメッセージが届いた。そこで少し、後悔した。だから、その後のやりとりは気丈に振る舞って見せた。
わたしはそもそも、結構わがままを言って神戸に出させてもらっていたので、熱を出そうとてここで弱気になるわけにはいかなかったのだ。
親としては、積極的にわたしを遠くに出したいとは思っていなかったはずだし、近くにいてくれれば体調不良のときに様子を見に行ける安心感もあったと思うから。
愛媛・神戸の距離感では、熱が出たとわめいても母はわたしの様子を見にこられないし、ただ不安にさせるだけ。その安心感を奪ったのは、その環境をつくったのは、誰でもないわたしだ。
そんな、ちょっとした後ろめたさもあったのかもしれない。
自分の好きなように生きている以上、自力で生き抜いてみせないと。それがわたしのすべき最低限だ、とその時、強く感じた。
そんなことはないのかもしれないけど、少なくとも大学生のわたしはそう感じたのだ。
なので、その後も何度か高熱に見舞われることがあったが、初めて熱を出した時のように狼狽えることはもうなかった。
あのとき、一人で暮らすことに対する覚悟が芽生えたからだと思う。
発熱の際の心細さは今でも変わらない。でも、あの時覚えた "1人で生きる覚悟" だけは、ずっとあれから胸の奥にある。
それに加え、一人暮らしを始めたばかりのあの頃のわたしと違い、東京で3年暮らしたわたしには頼る人だってちゃんといる。
だからわたしは今日も東京の片隅で強く生きられるのかもしれない。