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写真で見る、23年前のインドネシア旅行記


もう20年以上も前の旅の話で、ノスタルジア以外の何者でもないですが、お付き合いください。このインドネシア・スラウェシへの旅は初めての長期旅行の3週間。東京でそれまで働いていた病院を辞め(7月)、イギリス(エディンバラ)大学院へ入学する前(9月開始)に長い休みを取ることができたからです。

なぜインドネシア?

その時結婚して2年目、私は夫の旅行話しを日々聞くのが大好きでした。私の父はビジネスマンでよく海外へ長期出張に出ていたので、父からもらう異国のお土産(マトリョーシカとかね!)に大喜び、だったのにも関わらず、父から異国での経験を聞いたことがなかったのです。父の場合は海外へと言っても仕事、だからいわゆる海外おもしろびっくり話があまりなかったのだと思いますが、父は忙しかったのも事実、遊びはよくないことと考えるような人だったのも事実。幼少期から大人までの何年間も海外の空気だけちょっと知っていたのに、でも何も知らないというくすぶった感覚が初めてブワ〜っと開けたような気持ちになったものでした。

ペルシャ王に処刑されないために必死になって毎夜面白い話を1001夜続けた千夜一夜物語(アラビアンナイト)の女のように、夫は毎夜、異国の話を面白おかしく聞かせてくれました。

夫のインドネシアの旅(カリマンタンなど)の話を聞いているうちに、私も行きたい、連れてって。Slawesi島はオーストラリアとアジアの半分地点にあり、大昔オーストラリアとアジア(インドマレーシア)のプレートが動いてくっついてできたので、オーストラリアとアジアの両方の動植物が混じって進化している特殊な場所。綺麗な水(サーフィンで有名なマカッサルや、ダイビングで有名なダイバーズパラダイスのマナドなど)、熱帯雨林、コーヒーの産地、カラフルな文化、優しい人々。私は昔から澄んだ空気とか綺麗な水とか自然ものにとにかくヨワかったのです、パリ・ニューヨークもいいけどね(ちなみにニューヨークにはいまだに行ったことがありませんが)、自然豊かなところに行きたかったのです。

Kの形をしているのがSlawesi島
Slawesi島の主要都市Makassarから入り、車で各地訪ね北上して、最後トレッキング、帰りはPaluからMakassarまで飛行機で戻った3週間


それでは誰得?の旅行記ですが、見ていってください。

Makassarでオランダ人が経営する(インドネシアはオランダの植民地、1799年から1949年にインドネシアが独立するまで続いた)(日本軍がインドネシアに攻め入りオランダ植民地政権を打倒して、1943年に一時期支配下に置き軍政をひいていた時期もある)旅行社 Caraka Travelindoを訪ね、レンタカー+運転手(兼ガイド)を手配。どこがSlawesi島の見所かピックアップしてもらいながら、どんなところに行きたいか大体の3週間の予定を立てました。最後の7~10日間はトレッキングに振り分け(車はトレッキング前に返却)余裕を持ってゆっくりできるように。

海沿リゾートBira

最初に訪ねたのは海沿いのリゾート街Bira。

夫に撮ってもらったお気に入りの中の1枚*
私の撮影した傑作

夫の方が写真を撮るのが上手いので(*比較写真、下)、旅行のお気に入りとなるの写真は私が撮ったもの<<夫が撮ったもの、のことが多いのですが、時々100枚に1枚くらいの確率で、私による美しい写真が撮れることがあります。”数打てば当たる”は写真撮影に関しても、もう黄金ルールと言えるでしょう。

美しく撮れた写真にはまず間違いなく「光」が関係しています。特に夕方、太陽が斜めになる時間帯が狙い目です。昼間の直角な白い光ではムードが全然出ないのに比較して、夕方は光が微妙な柔らかさで人物を包み、ロマンティックな写真が撮れるのです。私の傑作1枚はまさに海辺、古いボート、白い砂浜、夕陽、というベタですがロマンチックな条件がちょうど揃ったために撮れたのです。その後、3週間も旅行していますが、最初のこの写真がベスト。

ちなみに*比較*

*比較(悪い例):私が撮った写真を見ると構図が悪いのが一目瞭然ですね。被写体が眩しくて目が開いていない、ピンボケ、足元が途切れているなどなど。

ブギス族の結婚式とお葬式

運転手兼ガイドさんが嬉しそうに、結婚式を挙げているから見にいこうと道路脇に車を止めて飛び入りで参加した結婚式。スラウェシ島南西に居住する民族のブギス族(Bugis)同士の結婚だそうです。

花婿 花嫁
色とりどりの衣装

インドネシアはほぼイスラム化が進んでいますが、スラウェシ島も例外なくイスラムの影響が大きいそうです。服装は袖が長め、体の線を拾わないもの長いスカートなど、イスラム教の女性の謙虚さの解釈に従って仕立てられていて年齢によって着る物が決まるのだそうです。伝統的にはイスラム教的にはシルクらしいのですが、着用されている半透明の生地は暑さ・値段に対応したものなのでしょう。ヒジャブもつけていないし、男性の帽子もイスラム教のものと全く同じでは無さそう。派手な色使いはむしろヒンドゥー教の結婚式の影響もありそうです。

カラフルカラフル

ガイドさんは我々がおお喜びしていたのを見て、泊まったホテルの周辺で聞き込み調査を行い、翌日、近くで開催されていたお葬式にも連れていってくれました。

ガイドさんがお葬式には何か持っていった方がいい、というのでお金かな?と思っていたのですが、彼、私の持っていた3色ボールペンを指差し、「これがいい」というので、お葬式に参加させてもらうのはボールペン1本代金。外国のモノってやっぱり貴重で珍しいんでしょうね . . . 。

お葬式はここでは写真は載せませんが、大人数が和になって座っていてその中央でまだ生きている豚を屠殺するのがメインイベントでした。

野蛮?原始的?遅れている文化?キミが悪い?

今になって思うと、我々がピクニックで輪になってソーセージロールを食べるのとどこが違う?違わないよな?と思います。

文化って進んでる・遅れてるなんて物差しでは測れなくて、その土地その場で狭いローカルに受け継がれてきている、ある意味ロジックとはあまり関係のない異世界を作っているもの。そういう異世界に飛び込んで、自分の知っているものとは全く違うものを浴びまくることが旅の楽しみであるのではないかと思うのです。

Tempe湖 (Danau Tempe)

スラウェシ島で2番目の大きさの海のような湖、Tempe湖。ここでは漁師たちは水上に住んでいました。

水上の小屋(住んでいる)
気候が温暖なのと、湖だからこそできる技
ボートで遊覧。車を降りて違う景色を見るのはいいアイデア

有名どころ

Lemoのお墓
コーヒーで有名なタナトラジャの船型屋根、高床式住居


メインイベント トレッキング

生まれて初めて体験した川下り(white water rafting) はさすがインドネシアの大きな川、水量の凄さで世界屈指のラフティングに適する川だったという期待以上の楽しさでしたが(写真なし)、メインイベントは歩いて踏破した熱帯雨林Lora Lindu 国立公園100km。

ここで車の運転手兼ガイドさんとはお別れして、新しくトレッキングを案内してくれるガイドを探しましたが、夫も私もピンと来たのがKarelさん。英語もまあまあ話せるこのおじさんが、もうなんともチャーミングで世界の旅先で出会って忘れられない人の一人です。

ガイドのKarelと
楽園のような蝶の大群
蝶やトンボがたくさんいたのよ
Megalith: インドネシア版モアイ像 いつからあるかわからない石像
クリスマスの香りでお馴染みのクローブの実
本日のホテルに到着〜
トレッキングの途中は民家に泊まらせてもらう夜も多く、先々で子どもたちが歓迎してくれる
熱帯雨林の中は想像通り暗いところが多いのと、思ってた以上にギザギザ先の尖った植物が多くて手を触れると怪我をしやすい。

滑って手を切った夫の指をガイドのKarelが素早く口で吸って血を揉み出し、洗い流したのには驚きました。猛毒ではないけれども、かぶれたり、炎症を起こしたりする可能性のある植物が多いので、植物のトゲで怪我をした場合はこうするのだと言っていました。

オーストラリア固有種のユーカリの木。前述したように、オーストラリアからのプレートで合体した島なので、ユーカリの木が生息する
顔洗う、髪も洗う
今夜のホテルのフロントにて
今夜のホテルは風通しもバッチリ
夕ご飯はガイドのKarelと荷物持ち兼アシスタントが作ってくれます
雨が降ればバナナの皮が傘になる

前回チラッと書きましたが、ターザンのようなツルブランコを作ってくれたkarel。

ツルでブランコを作ってくれている
左:セミプロ撮影(夫) 右:アマチュア撮影(私撮影、ごめん)

ターザンもどきを楽しんだとはいえ、身体能力は子どものナチュラルさには敵いませんね

お気に入りの1枚 やんちゃぶりが可愛さ爆発
服を手洗いして、日光で干す

小屋の中で焚き火の煙を何日もあびていたのと、服や靴を焚き火で乾かすこともあり、最終的には着ていた服や靴は匂いがすごくて処分しました。家が火事になると燃えなくても使えなくなると聞いたことがありましたが、煙の匂い、大変な匂いなんですね(洗っても消えない)。

トレッキングが終わり、飛行機でMakassarに戻ってきた時に、奮発して海辺のいいホテルに部屋をとってもらい、ああ、お風呂に入れるっていいわ、ああ、大きなベッドっていいわ、レストランもあれば冷房器具もある、嬉しい。優雅な時間を満喫しました。

Makassarに戻った(幸せ)

一生の思い出。そしてこれが私の旅の原点です。



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