姥捨て山世代

少子高齢化の下での財政健全化は重要な政策課題ではあるものの、その話を聞いたり、メディアで読んだりする時に感じる違和感が一つあります。

それは、今後、財政赤字が解消したり、家計資産が増えたとしても、高齢者向けサービスの担い手となる労働者が不足することは変わらないことが考慮されていない点です。

政府や高齢者が、介護のような高齢者向けサービスに払えるお金の額が増えても、供給サイドの労働者の数が高齢化と同じ程度に増えなければ、高齢者向けサービスの価格が上がるだけです。そうすると、お金持ちだけが質の高い高齢者向けサービスを享受できることになります。

このような不平等を避けるために、いまの介護事業の様に政府が高齢者向けサービスの価格を決めたとしても、今度は、低価格のサービスに対して超過需要が生じ、保有資産の多寡に関わらずサービスを受けられない人がでてきます。

この問題は、団塊ジュニア前後の世代が高齢者になる数十年後にもっとも深刻になります。そう考えると、団塊ジュニアは、高齢者になった後も労働者として働ける間は精一杯働いて、動けなくなったときは、良質の介護などのサービスを受けられずに、姥捨て山に捨てられるような形で死んでいかざるをえない世代になるかもしれません。

この問題の緩和のためには、高齢者向けサービスでの労働生産性の上昇のためのR&Dへの補助金など、ミクロレベルの政策が重要に思います。