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お金は記憶

お金に情報が乗りすぎると疲れる

キャッシュレス化が進むと消費者の行動データを集めやすくなるので、「今後のお金には情報が乗るようになる」、という話が聞くことがあります。でも、売り手側の視点に立てば、消費者ごとに違う価格を提示して、各消費者から得る利益を最大化しようとするのが自然な流れになると思います。今でもすでに、スーパーで物を買った時、特売のクーポンをもらえる時ともらえない時がありますが、これも消費者の属性ごとに異なる価格でモノを売ろうとすることの一例です。

でもこういう値引きがきめ細やかになると、消費者側は値引きを受けやすいような買い物をするインセンティブが働きます。そんなことを考えながら買い物をするのは疲れますね。将来は、店舗の値引きアルゴリズムを、顧客側のデータの蓄積で先読みするロボアドバイザーに従って物を買うようになるかもしれません。(ただ、ロボアドに広告が乗る場合、おすすめ品ランキングをどこまで信頼できるか、という問題が生じ得ます。)

「働かざるもの食うべからず」ためのお金

似た話で、経済学でも、お金の機能を過去の行動の記録として見る考え方があります。ナラヤナ・コチェラコタというアメリカの経済学者(前ミネアポリス連銀総裁)が1998年に書いた「Money is Memory」という有名な論文で示された考え方です。

この考え方によれば、働いてモノを作って売った時に、買い手からお金をもらえることにすれば、お金を持っているということが過去誰かのために働いた証明になります。そうすると、不特定多数の人間の間で、ある時は働いて、ある時は休んで他人の作ったモノやサービスを消費する、という相互依存が、お金のやりとりを通じて可能になります。

ただ、この考え方は、消費者の購買行動ではなく、各個人の過去の生産行動の記録なので、最近の「お金に情報が乗る」話とは少し違います。

「ぼんやりとした記憶」としてのお金

実際、不特定多数の人間が、ある時は生産者、ある時は消費者となることで、現在大変高度な分業社会が実現しています。ただ、今のお金の仕組みだと、昔の生産行動の細かい値付けの記録がずっと残ることで、所得の不平等が大きくなっている感はあります。

例えば、お店を隅々まで綺麗に掃除する仕事と、お店を経営する仕事の価値の差を、一円単位まで明確に物理学のように定義・計測するのは無理なので、経済の中での「値付け」は大雑把なものでしかないはずですが、お金という形が残るせいで、過去の生産活動の大雑把な値付けの影響が各個人の間の差として末永く残ってしまっています。

昔起こったことを人間はぼんやりとしか記憶しませんが、細かいことを忘れることで人間関係がうまくいくという効用があります。お金が保存している「過去の生産の値付けについての記憶」も、時間が経つにつれてぼんやりすると良いかもしれません。

じゃあどうすればいいのか、と言われると答えるのが難しいですが、時間が経つにつれてお金の価値が減るインフレや、過去の資産蓄積を帳消しにしてしまう金融危機がとりあえず思いつきます。これらの操作を今よりも政府がうまくやる、というのが一つの答えかもしれません。