愛着障害かもしれない


両親が41歳のとき私は生まれた。姉兄とは、10歳以上離れている。幼稚園児の頃、姉が大学受験し、一人暮らしを始めるにあたり、両親が奔走していたことをよく覚えている。それで私は祖母と二人でいることが多かったが、祖母が無関心な人なのでほぼ一人で留守番しているような気持ちだった。

小学校低学年の頃、今度は兄が大学受験をし、遠方で一人暮らしすることになった。この時も両親は忙しそうに動いていて、自分は祖母と家にいることが多かった。

それから、両親と祖母との4人暮らしが始まった。母は祖母(姑)をすごく嫌っていて、目の前にいるにも拘らず、何かにつけて悪口や嫌味を言うことに遠慮がなかった。祖母は祖母で、母に対して冷笑的で小馬鹿にした態度を取り続けた。父は大抵母の味方をするものの、家庭での存在感は薄かった。

あるとき、居間のちゃぶ台に祖母が日記を広げたままにしていたのを母が目にして、自分の日々の行いが日記に事細かく記されていることが気に食わないと言って、激怒した。ひとの言動を監視していると言って、祖母をひどくなじった。祖母は、ひとの日記を覗くのが悪いのだと言い、取り合わなかった。

祖母の行いと、それに起因する負の感情に敏感な一方、母は私に無関心だった。本当に無関心だった。ほんの数分私と接した赤の他人から、娘さんの様子がおかしいとか、元気がないよとか指摘されても、そんなことはないですよ~とニコニコと笑っていた。

もう限界だった。家では息を殺し過ごしつつ、学校では同年代の人たちと適当な距離を保ち人間関係を築くということは不可能だった。家でも学校でも居場所がないと感じていた。成績が良く問題行動を起こすこともなかったからか、教室に入れなくなっても学校に行けなくなっても教師は、「頭が良いから大丈夫」などと抜かしていた。そりゃお前よりは頭良いけどな、全然大丈夫じゃないんだよ。

周囲から怖いだとか気味悪いという視線を向けられていると感じるようになった。外出中に動悸が激しくなって公衆トイレの個室で息が落ち着くまでじっとしていたりする。ほんの些細なきっかけで涙が止まらなくなったりする。ただただ疲弊している。

好きなバンドの曲を聴きくことくらいしか楽しみがない。あとでかいドンコの画像を見ること。

気が向いたらまたなんか書く。