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月記(2023.11)

11月のはなし。

〔写真:Canon AE-1 & ILFORD ORTHO PLUS〕



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雨に降られて、わたしは風邪をひきました。




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東京都現代美術館に行った。



黄色い壁の表面に点字があった。ただ点字があるだけで、書き文字などは一切なかった。その点字は何色かに色分けされていた。色ごとにセクションが分けられていたりするのだろうか、僕は想像することしかできなかった。

僕は点字が読めない。街のどこかに点字があると、「点字があるな」と認識している。視覚で。

例えば視覚が不自由な人がいて、あの色付きの点字を読んでいるとき、その点字の色のことは分かるようになっていたのだろうか。あの色分けに意味はあるのだろうか。

そもそも、僕が「点字があるな」と認識しているものといえば、公共施設の手すりや案内板だったりといったものばかりだ。こういったものはだいたい文字の近くに点字があるから、文字のおかげで点字に気づいているだけだ。そうしたときに僕はなんとなく、その点字は近くに書かれている文字を表しているんだろう、と納得している。本当に点字を読んで確かめたこともないというのに。怯えてしまった。

「きみが言ってる〇〇というのは、△△っていう意味で言ってる?」と確認することがある。これをやってしまう度に、ダルすぎる、もうやめよう、と思う。この確認は会話のリズムを乱してしまうことが多い。ただ、僕としては、確かめないと不安になってしまうのだ。

この不安はもしかすると、展示にあった点字を見たときに感じた怯えに通じているのかもしれない。そう通じていると認識することで、僕は強引にこの点字を鑑賞したことにしている。

不安は嫌なのだ。体感していない不安を憂うことで、個人的な不安を振り払おうとしているのだ。きっとこの動きは、安心を遠ざけるのだと思う。共感とかじゃない、っていってるし。




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本を読んでいて「射影幾何学」なるものがあると知った。数学の授業で学んでいたのだとしたら恥ずかしい。

遠近法の仕組みというか、その理論的な下敷きというか、とにかく深い関係にある両者。

射影幾何学において、平行な直線は無限遠点で交わるとされる。これが一般的な数学(ユークリッド幾何学)と異なる点である。また、ここでいう無限遠点とは、遠近法における消失点(Vanishing Point)にあたる。

たとえば「話し合いは平行線のままだ」とかいうように、平行という概念は日常的に使われる。だがここで使われている平行とは、あくまで「ユークリッド幾何学における」という但し書き付きで機能している、ということになるらしい。もしこの相手が「射影幾何学における」という但し書きのもとに話し合いに臨んでいたとしたら、この話し合いはいつか交わるところがあるという感覚を持っているということになるのだろうか。なんか建設的でいい感じがする。射影幾何学的に生きると世界が平和になるかもしれない。

よく考えてみたら、そもそも地球は平面ではなく球体なのでユークリッド幾何学的に生きること自体不可能っぽいし、世界は平和じゃないし、ここにはとにかく僕が理数系に疎いという事実しか存在していない。




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生と死の話をたくさんした。そうしていると、色んなものから生と死の香りがしてくるような気がする。

たぶん、風邪のせい。全部。

キャッチコピーのツギハギみたいなことを考えていたら11月が終わった。11月はハロウィンとクリスマスに挟まれているせいで影が薄い、とよく言われるけど、全くもってそのとおりだと思う。商業的意図で盛り上がるイベントに挟まれ、その風情を薄められてしまう11月。僕はこいつの味方のつもりだったけど、こんな思考で月を過ごしてしまったことを申し訳なく思っている。






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