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月記(2021.07)

7月のはなし。

生きていれば、いいことも、わるいこともある。この目はなるべくいいことをたくさん見つけることに使って、最終的に総合点で見たときに、いいことが少し上回ってくれれば御の字、と思って生きている。しかし今月、とくに後半戦は、久しぶりに負け越した感がある。なんでも勝ち負けに回収してしまうのはよろしくないと思いつつも、「悔しい」的な感情は発生してしまうものだったりもする。

わざわざ言葉にしたり、なんらかの形で発信をするということは、多少なりとも自分をすり減らして行うことである。それは著名人であれ、いち民草たる僕であれ、基本的には同じことだろう。僕は長いことTwitterを続けていて、今年からnoteを書き始めた。noteを書いていると、自分がすり減っていく感覚がハッキリとわかる。今もゴリゴリ削れる音が聞こえる。この感覚に気づいたことで、日々Twitterに触れているときにも、ささやかにシャリシャリと削れていることに気づけるようになった。デジタルネイティブ未満、インターネット老人会の一兵卒として、それなりに耐性はあるほうだと自負していたが、HP・MPは無限ではない。プロアクションリプレイは人生には対応していない。

ちゃんと振り返れば、いいこともたくさんあった。「世の中捨てたもんじゃない」という基本姿勢は変わらない。ただ、この「捨てたもんじゃない」という姿勢は、諦めから出発することによって獲得するポジティブだ。根暗の格闘術なんだろう。

ある程度規模が大きくなってしまったモノは、「正しい」形へと矯正される。そのスピードたるや、凄まじいものだ。その日の朝に賞賛されていたものが、夜には矯正の的になったりする。スタジオのど真ん中に線が引かれ、制限時間内にマルかバツか、どちらかのフィールドに移動するクイズ番組を思い出す。出演OKした記憶はない。ちゃんと事務所を通してほしい。ギャラをくれ。


TOKYO、TOYOSU CITYにて、NUMBER GIRL。少し前のHIBIYAでも思ったのだが、その場所にロックバンドが立つということに、勝手に意味を見出してしまう。今更「ロックバンド」に対して、古臭い意味を見出そうとする姿勢は、余計なことなのだとも思うけど。R・O・C・Kに扇情されてしまったひよこは、それを親だと思って生き続けてしまう。


今月頭に曲をつくった。44位の壁を越えられない。ラップと店長の使い方は王道であって、単純に競合が出てくる前にリリースしたというところが大きいと思う。ここにキーボード音をのせているところが僕なりの主張のつもりなので、インターネット好きは聴いてください。よろしくお願いします。



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