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セルフラブ実践編 犠牲者意識を持たないためのちょっとした工夫。

他者と過ごす時、「犠牲者意識」を持たないように気を付けている。その時点で持っていなくても、後からも感じないようにできるだけ、工夫している。「犠牲者意識」と私がここで呼んでいるのは、自分のことを差し置いて、他者の期待に応えようと頑張りすぎて、くたびれてしまい、他者に対して不満を持ってしまうこと。

友人関係でも、恋愛関係でも、その他の人間関係でも、犠牲者意識を感じてしまう関係はヘルシーではない。もちろん無条件の愛から、誰かに喜んで尽くしたいという気持ちが、本人にとっての真の望みであれば、私はそれを「自己犠牲」だと呼ぶつもりはないし、むしろ、自分の本当の望みに従っているのなら、それは私が考えるところの「自己愛(セルフラブ)」に近いと思う。

だけど、自分に見返りがないなとか、搾取されているなとか、悲しい、残念を感じていたら、ちょっとその行為ストップ。

そう感じているなら、自己犠牲の意識かも。

無条件の愛なのか、犠牲者意識なのかって、見極めが必要だったりすると思うんだよね。無条件の愛も一歩間違えれば、自己犠牲の意識を生み出す気がする。

無条件の愛と犠牲者意識を考察する材料としてすごく良いなと思った絵本があるから、その話を少しさせて~

『おおきな木』という絵本なんだけど、読んだことある人も多いかな?

それは、ある木と、少年の物語。木は少年のことを愛していた。少年がリンゴが欲しいと言えば、自分の実を差し出し、家が欲しと言えば、枝を差し出しし、船が欲しいといえば、幹まで差し出す。おおきな木は少年のために、喜んで自分を与える。だが、とうとう、切り株だけになってしまう。

そして最後に

「きは それで うれしかった・・・だけど それは ほんとかな」という一文が入るの。

この、「だけど それは ほんとかな」強烈じゃない??
私は本田錦一郎訳で読んだのだけど、村上春樹訳では「それで木はしあわせに・・・ なんてなれませんよね。」 ってなっているみたいなの!!

はっとしたな~。人に何かをしてあげたいという気持ちは皆あると思うの。相手に喜んで欲しいし、楽しんでほしい。でも、自分が期待していたリアクションや感謝の言葉が得られないと、あれ?って感じることもあったりするよね。私もすごくあった。そう感じる自分のことも嫌だった。それで、結構疲弊することが多いなと思って、他者第一優先で生きることを辞めた(笑)

こう、書くとすごくドライな感じがするのだけど、自分第一優先で考えて、余力があれば、他者の喜びに貢献したいなというスタンス。

他者第一優先で、自分の時間とエネルギーを削り、自分が興味のない・好きでもない・ときめきもしないことをするのは、ほんとしんどい!!

そして、その私の無理してますオーラは大体、相手に伝わっちゃうの。残念すぎるよね。なら、最初っから、相手に自分の幸せを委ねない。自分で、自分が満足するような環境を整えることに注力する方がいいと思ったの。

▼具体的に気をつけていること

急な誘いには、よぽっどではない限り乗らない。時間はお互いに、大切なものなので、慎重に扱いたい。ストレスになることも多いので。

自分に心配ごとや、解消させたい悩みがある時はそっち優先。自分の内面がクリアでないと、楽しむことが難しい!

自分が行きたいところに、他者を誘う
ワクワクする、ときめきを感じるは、高エネルギーだと思うから、自分のエネルギーが更に上向きになるように 笑

予定を詰めすぎない
体力とマインドのキャパがあまり大きくはないから、ひとりで充電したくなる

こんな感じかな。もっとあったら、追記していきます。書いてみて思ったんだけど、結構、わがままスタンスなのかもしれない!!

だけど、犠牲者意識で過ごしていた頃より、圧倒的に、他者に良い時間を提供できていると思う。せっかく人に会うなら、やっぱりその人にとって良い時間をすごしてもらいたいんだよね。ここ、たぶん私のエゴ。だけど、良いエゴだと思う(笑)

自分を大切にすることは、他者を大切にすることにも繋がるとはず。だから、堂々と大切にしていいし、自己犠牲を少しでも感じたら、予定とか、人との関わり方を見直している。

自己犠牲の意識を持つよりかは、ちょっとワガママなくらいで良いはず。

おしまい。

今日は、地元から父が来てて、これから夕食を食べに行くんだけど、父を喜ばせるお店を考えるより、自分が行きたいお店で考えた方が、良いお店探せた(笑)そう、こんな感じ。自分ファーストは意外と外れないと思う。

2020/02/15
HINAKO







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