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「表面に現れていないこと」の方が大事かも? 相手の「背景」を想像することの重要性

僕がまだ20代の頃、ある先輩の男性と大阪の繁華街を歩いていた。人がひしめくスクランブル交差点で、彼の隣に立ち信号待ちをしていた。

彼はふいに「めっちゃ人いてるけど、あの人ら全員、いろんな悩みや葛藤を抱えて生きてるんやろな。大変なことを乗り越えてきたり、まさに今、向き合っている最中なんかもな」

何気ない一言だったが、今も印象に残っている。

その男性は、誰に対しても分け隔てなく接する人で本当の意味での優しさを持っていた。

あるとき僕が彼に「なんで、そんなフラットに誰とでも丁寧に接することができるんですか?」と尋ねると、彼は「う~ん、そやな」と言ったあと、考えをまとめて話してくれた。

「俺は全員が一生懸命生きてると思ってる。それを考えたら年齢に関係なく、自然と敬意が生まれる感覚がある」と彼は言った。

僕たちは、表層に現れるわかりやすい部分のみにフォーカスしがちである。しかし可視化されているところにしか目がいかないと、相手を一面的に捉える危険性がある。

我々は感情的になると「あの人は〇〇だから」と、ひとつの面に目を向けがちだ。

レッテル貼りを好むのは脳の性質だ。「彼は〇〇の人だから」「彼女は××だから」という理由をつけて、納得できれば、それ以上考えなくて済む。

しかし、それを続けるとデジタルな二元論的思考に陥り、相手の背景が見えなくなる。

二元論的言動のわかりやすい一例が、堀江貴文氏の「境界知能は〇〇である」というレッテル貼りである。

茂木健一郎氏が、警鐘を鳴らしたそうだが、

悲しいことに、レッテル貼りを支持する人が一定数いる。

タイパを重視する現代人ほど、思考をすっとばしてくれる、わかりやすい論理に飛びつきやすい。思考を放棄すれば、しんどい現実と向き合わずに済む。

彼ら彼女らが「タイパ志向の根底にある焦燥感は、生きることへの不安から発生している」というシビアな事実を受け入れられるのか甚だ疑問である。

本当に時間を大事にしている人は、スマホ中毒というアヘン漬けのような状態に陥らないはずだ。

思考を放棄しない生き方とは、相手の背景を想像する生き方につながるのかもしれない。

しっかり向き合い想像する過程が、何より大事なのだろう。

曖昧でグレーな領域を考えるのはしんどい。フォーマット病に汚染された現代人は、誰かが用意してくれた正解を自分の正解だと勘違いすることに慣れすぎている。
しかし正解がない中「もしかして、こういう成育環境で」「過去にこういう体験をして」と、自分の脳みそを使って考えること自体が相手に関心を持つことなのだ。

そのヒントになるのが「なぜ、そうなったのか?」という疑問である。

所作や表情、発する言葉などを総合して考えると、見えてくる答えがある。

そうして関心を持つようになると、先輩が口にしたように敬意が生まれることも確かにある。

もちろん全員に敬意を持てるほど、僕は成熟していない。

僕は性善説を全く信じておらず、卑劣で加害的な人間もいると実感しているし、仲良くできないタイプももちろんいる。

しかし自分と合わない人間に対しても「なぜ合わないのか?」を突き詰めて、腹落ちさせることは重要だろう。

僕が自己愛の本を書くきっかけになった横柄な年長の男性がいた。彼は職業差別的発言を度々繰り返しており「コンビニで働くような人間に、人として価値はない」といったヘイトを平気で口にしていた。

もう彼とは疎遠になったが、僕は「なぜ彼は特定の人へ、ヘイトを繰り返さないと精神のバランスを保てないのか?」をずっと考えていた。

歪な自己愛を持つ人間の心理を分析した本を読み漁り、考え続けて答えを導き出した。

彼は「人を見下すことで相対的に自分の立場を上げられる」という歪んだ信念を持っており、それゆえ罵詈雑言を好むヘイターだったのだ。
この答えへとたどり着いたときに、彼が必要以上に自分を大きく見せようとする虚勢や虚飾、謝罪と感謝が一切できない尊大な態度などの理由がわかり視野が広がった。
慢性的な心理的欠乏、不全感を覚えていたからこそ、それを心理的に補おうと必死だったわけだ。あとから、彼が学生時代に悲惨ないじめを受けていたことも知った。
根底に「やられる前にやらないと、また被害にあう」という恐怖があり、それゆえ攻撃的な鎧で武装するという生き方を選んだらしい。

このように思考を深め想像力を鍛えると、人間の見え方が変わる。僕は自己愛者を必要以上に怖がらなくなり、シビアに線引きして接するという対応をするようになった。相手への解釈が変わることで、心理的負担を減らせることもある。

言葉というのは、わかりやすすぎる情報だ。
だからこそ言葉のみに振り回されることなく、眼前にいる人が「なぜそうなったのか?」「なぜ、そうしたいと感じているのか?」などに想いを巡らすことが、人へ関心を寄せることなのかもしれない。

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