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HSPやINFJのあなたが今「苦しみながら必死に向き合っていること」は、他者も現在、取り組んでいる課題かもしれない

漠然とだが自己理解や自己受容が進むと、心が楽になると思っていた。

しかし結論から述べると、それは全くちがった。

自分がこれまで蓋をしてきたり、目を逸らしてきたり、強がって認めていなかったことと向き合うようになったことで、しんどい思いをすることはむしろ増えたかもしれない。

ただし、それに対して悲観はしておらず痛みも含めてさまざまなことを「しっかり感じ取れるようになった」という実感がある。

元々僕は、心に傷がいきやすく小学校時代は、それで苦しんでいた人間だ。

そのあと、痛みを否認することでなんとか強がれるようになり、本来とは異なるキャラを入れることで、なんとかやってきた。

ペルソナと呼ばれる社会を渡っていく上でつける仮面を手に入れたのだ。

心に傷がいきやすい人にとって社会は、仮面や鎧をつけなければ生きていけないほど苛烈だ。

しかし仮面や鎧が皮膚に癒着し、はがれないようになると、今度はいろいろなことに対して不感症的になり、感情が動かなくなる。

これは極めて危険なことだ。

無理をしすぎた結果「今、自分が何に苦しんでいるかすらわからない」となりかねない。

痛みを感じるのは辛いが、それを受け止めきることで道が開けると信じている。

他責や他害に走る人の多くが、痛みを受け止めきれない人だ。

痛みに耐えきれず「こんなに自分が辛いのは、お前らが悪いんだ!」と矛先を他者へ向ける人をどれだけ見てきたことか。

それは辛さからの逃避であり、退行に過ぎない。

退行を選んだ人は偽りの自信を得て、苦しみながら人を傷つけるようになる。

僕はそういう醜い人間になりたくないから、痛みを直視する方を選んだ。

痛みに耐えながら生きているから、どうしても重たくなりがちなところは否めない。

痛みを感じやすい人間は悩みやすい。

そして日々の悩みが書くことにつながる。

葛藤が多い人ほど気づきが多いし、長期的に見た場合、心理的に成長しやすい。

このおかしくなった社会で、生きづらさを感じない方がむしろおかしいと思うのだが、その中でもできることがあると信じ発信している。

きっと僕の悩みは、あなたの悩みでもある。

そしてあなたの悩みは、誰かの悩みかもしれない。

絶望するような状況でも「人を信じたい」と、傷だらけになりながら前に進もうとする人がいる。

noteには、きっとそういった心優しい人の投稿があふれている。

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