親の干渉と関心と距離感|明石家さんま、笑福亭鶴瓶が「捨て育ち」で大成した理由
先日、ある演芸を見に行った。
イベントの最後に質疑応答のコーナーがあり「師匠との関係について教えてください」との質問が客席から飛んだ。
演者の方は「うちの師匠はこうしろ、ああしろと一切強制しません」「いつも可能性を示唆してくれます。こういうやり方もあるよと」「でも決めるのは、おまはんや。合わへん思ったらやらんでええねん」と回答。
聞いていて「ああ、こういう師匠っていいなあ」と思った。
20代の頃に、あるクリエイターに短期間、師事したことがあった。
愛情溢れすぎる人で、自他の境界線がしばしばなくしておられた。
「俺の言うことを聞かへん奴は、全員、絶対失敗する。ほんで自らドツボにはまるんや」みたいなことを始終言われ、辟易した。
複数名、弟子を抱えておられたが、自分の思い通りに育たない姿を見ながら明らかに苛立っている様子だった。
今なら自分の性格を鑑みて、師弟のように近距離で長期間コミュニケーションをとること自体に向いていないことがわかる。
僕の方に、強い依存心や甘えも確実に存在した。
その人のもとを離れ、自分で動き出してから仕事も人生も開けた。
人のせいにするのをやめて、「全て自己責任」と思える環境になったのが良かったのだろう。
よく出る例えだが「師匠がカラスは白い」といえば、たちまち白くなるのが師弟関係。師事するとは、そういうことだ。
今なお活躍を続ける売れっ子お笑い芸人として、明石家さんまさん、笑福亭鶴瓶さんがいる。
さんまさんの師匠の笑福亭松之助さん、鶴瓶さんの師匠の笑福亭松鶴さんも弟子の個性を潰さなかった。
鶴瓶さんは、2000年を過ぎたあたりから落語を演じるようになったが、世に出始めた頃のおふたりの共通点は「落語家なのに古典落語をしない」というものだった。
「なんで、あいつは落語家やのに落語せえへんのや?」と周囲の風当たりが強かったものの、おふたりの師匠は、弟子の個性を殺さないよう守った。
もっとも松鶴師匠は、鶴瓶さんがいくら「師匠、僕に古典落語の稽古つけてください」と懇願しても、落語を教えなかった。
他の弟子へ落語を教えている際に鶴瓶さんがやって来ると「鶴瓶が来た。稽古やめよ」と移動したという意地悪な逸話も耳にする。
師匠方は、落語家というスケールだけに収まらない大きな可能性を、きっと感じたのだろう。
「笑福亭の捨て育ち」という言葉がある。
笑福亭一門は、入門した弟子に手取り足取り教えず能動性を促す。弟子は、自分の頭で考え自分を磨いていくしかない。
「捨て育ち」とは「親や師匠の立場の人が、気を配りすぎず放任したままで育てること」を指す。
「捨て」という字自体にネガティブな印象を持つ方がいるかもしれないが、「ほどよい距離感で見守る」という意味があるはずだ。
本当に捨てるのではなく、子どもや弟子にしっかり関心を向けたまま、干渉しすぎないのが「捨て育ち」。
頑として鶴瓶さんに落語を教えなかった松鶴師匠だが、実は生前、鶴瓶さんに対して「ほっといたほうがいい、こいつはこのままでええんや」と書いた紙が残っていたという。
見ていないようでしっかり見ているというのは、本当の愛情だと思う。
僕がライターをするきっかけを下さった恩師は、最初に「あなたが書きたいものを書いてくださいね」と口にされた。
常に相手への最適解を考えてから発言される方で「これを書きなさい」「こうしなさい」と強制された記憶が一切ない。
心から良かったと思える作品に対して「ここのこの箇所が面白かったですよ」とプラスのフィードバックを具体的にくださった。
この方の元からは、何十人という人材が輩出されたが、それはきっと「干渉しすぎ信頼して見守る」という姿勢を崩さなかったからだろう。
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