大好きなものへの祈り 〜心理的安全性が自由を生む〜

最近、ビジネスの世界では、「心理的安全性」なるものが話題らしい。
神経系は、その場の状況を「安全」と判断すると、社会交流システムが働き、また、創造性も発揮されるらしい。

二人の友人の話

一人は年上の男性Mさん。
彼は対人恐怖症だ。

僕は、彼の語りが好きだ。
聞いていて爽快感がある。気持ちがいい。
営業やプレゼンといった仕事をすればいいのに、と思うけど、彼は否定するだろうな。

一度、あるセミナーのグループワークの中で、彼に代弁されたことがある。
「周りの人がみんな敵ってどんな感じが分かりますか!」
泣きそうになった。
とても力のある声だった。

もう一人は、年下の女性Sさん。
彼女は、引きこもりやその経験者の人達が集まる場所に通っている一人だった。(僕もその一人)

ある時、視覚障害の子が来た。
人一倍気をつかう僕は、正直、とても気が重かった。

「声を出すの苦手なのにな。」
(僕の声はいつも小さく聞き取り辛い)
「でも目が見えないのだから、声で説明しないと分かりづらいだろうし」
「嫌な思いをさせてしまうかもしれない」

などと心配していた。
しかし!Sさんはあっという間にその子と仲良くなり、その日のうちにmixiの友達登録まで済ませてしまった。
しかも一緒にカラオケにまで行ったそうだ。

あと、こんなこともあった。
ある日、閉所の時間が過ぎてもゲームをやめない子がいた。
職員さんが声をかけても止める気配がなかったが、
「はいはい。終わるよ〜」
とSさんがあっという間に片付けてしまった。

そんな姿に、僕はとても感動してしまった。。。

***

そんな2人は、就職に悩んでいた。

最初の彼は、心を病み、今も人への恐怖や怒りに苦しんでいる。
そんなだから、当然営業やプレゼンなんて仕事はしていない。
なんてもったいない!!
会社はバカじゃないか、と怒りが溢れてくる。
なぜ彼の力を活かそうとしない、というか気付けないのだろう、そしてなぜ彼を病ませたのか、と。
業績アップに貢献したはずなのに。。。

Sさんは、一度就職したが、辞めてしまいまた別の所で働いているみたいだ。
彼女がもし、社会に適応出来ないのなら、社会の方がくそだと思ういやくそだ。

願わくば、彼らの活躍できる場所を作れたら、と思う。
だけど、僕の神経系もまた、この世界を「危険だ」と判断している。

きっと、みんな「心理的安全性」が大事、ということはなんとなく感じてはいるんだろう。
でもそれをどう作っていいかわからないんだろう。

“自由”になれない自分の無力さに打ちのめされている。

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