見出し画像

『センセイの鞄』 川上弘美

いつからか恋愛小説と言われるものを手に取らなくなった。昔は好んで読んでいたけれど、急につまらなくなってしまったのだ。ラブソングとかもあまり好きではなくて、どうしてこんなに世界は恋やら愛やらで満ちてるんだろうなあ、とぼんやり考える日もあった。

『センセイの鞄』は高校時代の"センセイ"と数十年振りに再会した"ツキコ"という女性が恋をする「恋愛小説」である。恋愛小説なのに、とても引き込まれた。そこで私は気づいたのだが、別に恋愛小説と言われるものが嫌いな訳では無かったのだ。

恋愛小説には「なぜ」が書かれていないことが多い。私は一目惚れを信じられない質なので、好きという感情を持つまでに段階のない恋愛小説を不自然だと感じていた。

『センセイの鞄』は日常の描写に手を抜かないことで空気感が読者に伝わった。時間が経つにつれて、ツキコの中でセンセイがどんどん特別な存在になっていくことが分かる。不自然だ、とならない。文体のしなやかさもあってぐんぐん読ませた。

最後、ツキコはセンセイの鞄を手にする。こんな一文で小説は終える。

鞄の中には、からっぽの、何もない空間が、広がっている。ただ儚々とした空間ばかりが、広がっているのである。

p.270 l.7〜8
文春文庫

儚々とした、とは漢字の通り儚いという意味だそう。鞄の中は空っぽでも、ツキコの中にあり続けるセンセイとの思い出が詰まっているのだろう、と考えると満たされた気持ちで本を閉じることができた。

この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?