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『##NAME##』児玉雨子

芥川賞の季節がやってきた。
今期の候補作の一つでもある、児玉雨子さんの『##NAME##』を深掘りしたいと思う。

なんだこれ、と惹きつけられるタイトル。
ハッシュタグの付く小説は本屋大賞に前回ノミネートされた『#真相をお話しします』など、よく見られるようになった。
しかし今作はハッシュタグが二つ、前と後ろに付いている。こんな形で見たのは初めてだ。これは、夢小説(既存の物語の中で特定の登場人物を自分に置き換えて読むことができる)で、名前を置き換えずに空白で読む時に代用される名前だそう。

このタイトルが凄く作品に効果的だと感じた。

まず名前に実態感がない。
例えば「##NAME##は歩いた。」という文章を読んで、"名前"という感じはしないし、自分がそこにいるなんて到底思えず、空洞のように感じる。名前の価値がいくらなものか、と比喩していそう。
そしてタイトルには捉え方によって色々なものが隠されていた。
##NAME##は夢小説で使われる名前。
MEをくり抜くと、"私"。
ローマ字読みをすれば"目"となり、主人公が目薬を差す姿、目薬を我慢する姿が脳裏に思い浮かぶ。
もしかしたらただ夢小説に出てくるから〜と言って付けただけかもしれないけど、タイトルが作品の内容にぴったりで、秀逸だなと思った。

タイトルが作品とこれ以上合うものがないと思わせる作品は久しぶりに出会った。『母影』以来かも。

作品のメッセージ性も良かった。
主人公は幼い頃、自分の意思ではないところで水着になり、その仕事を辞めてもデジタルタトゥーとして活動したことが残ってしまう。それに振り回されながら生きることが嫌になる。名前が自分にあることがどんなに不自由か思い知ります。名前というフィルターが自分よりも前にあることが苦しい。その感情が読んでいる側にも伝わりました。

自分を苦しめる世界だけど、その世界を丸ごと知らない、関係ない人に否定されるのも嫌になる。

その世界は自分を苦しめる世界であると同時に、美砂乃ちゃんにも出会えた世界であり、二人で過ごした日々のことは、あんな別れ方をしてでも、楽しい思い出として主人公に残っている。

主人公と美砂乃ちゃんの関係性は今では歪んでしまったが、もともと歪んだ世界で繋がったものだったから複雑だ。美砂乃ちゃんにとって、友達として、信用していた"ゆき"。
主人公の希望は、美砂乃ちゃんに呼ばれるゆきが存在することだったんだろうな、と思う。


ここからは芥川賞に絡めて考えていく。

個人的に、説教されているみたいな文章だと感じた。文章の芸術性、みたいなことを考えると芥川賞らしいとは思わなかった。
場面の展開は後半、大人になった美砂乃ちゃんの感情を文章として出さずに、私たちに想像させるように話が進んでいたことが良かった。
時事性を尊重する選考委員が居れば推されるかもしれないけど、芥川賞を受賞するにはまだもう一歩なにか欲しいと私は思いました。(上からですみません、偉そうにすみません)

今回、芥川賞の候補作だと思いながら読んだのでそんな風に思いましたが、作者はもちろん賞のために書いたわけではないと思うので、作品としてはとても良い作品だと思った。
今、児童ポルノは社会問題にもなっていて、その問題に物語で触れて知ることができ、理解するきっかけの作品にもなり得る、可能性の持った作品だと思った。

児玉雨子さんは作詞家であると同時に、本作の以前にも小説作品を出していて、これからも小説を書き続け、活躍して欲しい作家だなと思います。

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