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日記 04/23

2024/04/23

三月とさほど体調に変わりはないが、一つ変わった点は意欲的になったことだ。文字を前よりも読めるようになった。本を読んだり、映画を見たり、それら作品のことについて考えていると一日は過ぎていく。
それから最近は歩く練習をしている。三十分に一度立ち上がるというリハビリ。寝たきりだった私からすると大きな進歩である!これをしている日は午後になると体力切れになるが、「何もしていない」という状態が怖いので、体がしんどくても続けている。

何もしないでいることが何かをするよりつらいということが、あるのだと思う。

推し、燃ゆ
宇佐見りん

ということだ。私は今この文章の真意が分かる。後遺症を患ってから、何故だか文章の深みを理解できるようになったと思う。とくに宇佐見作品は私の心理的状況が似通っている。「これは私のための物語だ」と思える作品と出会えたとき、何かが報われる。幸せだ、と思う。

地獄の本質は続くこと、そのものだ。終わらないもの。繰り返されるもの。

くるまの娘
宇佐見りん

いつも印象に残った文章を読書ノートに書き写している。この文章を書き写したときは、まだ主人公たちの苦しみを「本当」の意味では分かってあげていなかったな、と思う。自分は今この作品で言うところの「地獄」に居るのだろうけれど、私には本があって良かったと何度でも思う。それから自分が今まで書き溜めていた読書ノートがあることも。

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