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あの日の足跡

今日からちょうど、ちょうど3か月前。7月2日のこと。

BUMP OF CHICKENのライブに行った。

あの日から3か月。そうか、あの日から3か月が経ったのか。もう3か月。まだ3か月。3か月という月日は、何かが変わるには十分すぎる長さだと思う。この3か月の間で環境にも自分にも大きく変化があったように感じる。変わらないものなんてなかった。心変わりは人の世の常ですね。

あの日のことをかきたいと3か月が経ったいま思い立ったのは、10月2日、今日はライブの日からちょうど3か月だとふと気づいたから。今日、かいて残したいとなんとなく思った。ライブの2日後にかこうと思った時には何もかけなかった。あまりにもあの時の感情がふわふわと漂い続けているものだから、それをうまく掴むことができなかった。できなくてもいいかと思った。私のなかの記憶にちゃんとあるからいいかと。でも、私はどうも、苦しかったこととかつらかったことばかりに目が向きがちで。だからこそうれしいと思ったことやたのしいと感じたことをいつでも取り出せるようにしていたい、時間は経ってしまったけれどやっぱりちゃんとことばにして残しておきたい、そう思ったので、改めてSilver Jubileeのことをかきます。

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BUMP OF CHICKEN LIVE 2022 Silver Jubilee at Makuhari Messe。結成25周年を記念する、BUMP OF CHICKENの銀婚式。結成記念日は2月11日で、当初は2月10日・11日に公演が予定されていたけれど、緊急事態宣言の影響で7月2日・3日に延期された。

去年の冬、7つのシリアルナンバーを手に入れてもライブは当たらなかった。わかってる。何枚も買えば当たるってもんじゃないってこと。1枚でも当たる人は当たるってこと。でも、少しでも確率を上げられるのならばと、気づいたら手元が狂ってしまうのが人間だ(超個人的見解)。私にとって7枚は、それでも我慢して抑えた結果の7枚だ。しかし1次落選。2次を待ってみたけれど、2次も見慣れた「チケットをご用意することができませんでした」の文字。やっぱり自分にはバンプのチケット運がない。もう何度目かで、何度経験しても慣れることのない衝撃を受けて激しく肩を落としたその瞬間、私を同行者としてチケットを申し込んでくれたひとになんとチケットがご用意されていたのである。そうしてありがたいことに私はライブに行けることになったのだった。

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そして7月1日。明日は、ずっと、ずっと待ちわびていた日だ。2月10日に約束をしていた待ち合わせが、拭えずに持っていた不安はやっぱり拭えずに、半年近く後の明日までお預けになってしまってから正直物凄く落ち込んだし、7月2日を無事に迎えられる自信がなかった(楽しみな予定ができるとその日まで生きているのか、事故に遭ったりしないかと結構真剣にいつも不安になる)のだけれど、目まぐるしく日々を過ごしていたらなんだかんだで6月が終わり、気が付けば目の前、次の日に迫っていた。

週末に待ち合わせを控えたあの1週間、毎日まいにちをとても尊く思っていた。Google先生によると、尊いとは「価値が高い。大切だ。貴重だ。」尊いでしかない。尊い以外のことばが思い浮かばない。7月1日は朝からなんとなくソワソワしていたように思う。あの時期は毎日ひたすらに体力を消耗する仕事をしていたから、今思えばかなり気が滅入っていたのだけど、あの日はなんとなくやる気に満ちあふれていたのを覚えている。だってバンプが明日で私を待っている。バンプの明日に私がいる。

どんどん時間は流れ、仕事は終わり、電車に乗って最寄り駅に着く。ロッカーに預けておいた荷物を取って特急に乗り込む。隣の席にはニコルを座らせる。あっという間に新宿。1か月ぶりの新宿駅は今日も今日とて人が多い。リュックを背負い、両肩にカバンを引っ提げて丸ノ内線が分からなくて走りまわる。駅員さんに聞いたのにも関わらず迷子になりながらもたどり着いた丸ノ内線。そこから東京駅に向かい、東京駅から海浜幕張駅へ。電車に揺られ、地元を飛び出してから3時間半。海浜幕張に着いた。通りかかった居酒屋に1人で立ち寄ってから、2日前に急遽取ったホテルにチェックイン。

思えば1人で居酒屋に入ったのはこれが初めてだったな。この日に何度も戻りたくなっている。ああ戻りたい。あの1週間は本当に時間の流れが速まっていたように思う。時間の流れるスピードに変化ってあるのだなと切に思った。この1週間に。今日に。何度も戻りたくなるんだろうなと、楽しみと、切なさをすでに一緒に抱えて歩いていた1週間だった。

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7月2日。4時頃に寝たけれど、7時すぎには目が覚めたのをよく覚えている。ゆっくり準備。2月に届いていたターコイズブルーのTシャツの出番がやっときたよ、キャップを被って、バンプの靴下はこの日が初おろしだったんだ、今回のツアーグッズのショルダーバッグにはキーリングをたくさんつけて、タオルをかけて。ニコルと手をつないで幕張メッセに。

これからライブだっていうあの時間、数時間後の同じ時に向けて、そこにいるみんなが胸を躍らせている空間、騒めきがとてもすき。みんな同じ、ここを目指して今日まできたんだ。いつもライブに行くと思うこと。色んなひとが、色んなことを感じながらも今日まで生きてきた。同じ船に乗るために。同じ虹をみるために。色んなひとがいて、今日も昨日も明日も、息をしている場所も、それぞれ違う。それなのに同じ音楽に支えられたりしながら同じここを今日目指してきた。だからライブって、ステージだけじゃなくてまわりを、観客席全体を見渡すのもとてもすき。こんなにもたくさんの違う一人ひとりが同じ方向へ手をあげて振って、目を輝かせて、心に響かせる、あの空間が本当にだいすき。ライブに行くと、前に並んでいるひと、あそこにいるひと、隣の席のひと。どこから来たの?ねえ今どんな気持ち?一人ひとりのことを何も知らないことがなんだかとても切なく、愛おしくなる。藤くんも「時間があれば一人ひとりとじっくり話してみたい」と、こんなようなことを言っていたような。

会いたかった人。会ってみたかった人。
会場で、色々なひとたちと待ち合わせができてとてもうれしかった。

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あの空間へ足を踏み入れていく瞬間、感情、目に入った光景を今でも覚えている。開演時刻が近づいているのになかなか進まない行列。待ち切れなさからくるソワソワ。ついにこの日がやってきたのだという実感。普段生きている場所はバラバラなのに今日ここに同じ時間に集まった人々。愛おしさ。止まることなく流れてゆく時間。切なさ。どんな音が、届くだろう。

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(以下、演奏された楽曲を交えながら記録しています。)

始まりは、それはもう終わりへの出発なわけで。始まってほしいのに、始まらないでほしい。ライブでは決まっていつもそんな相反した気持ちを同時に抱えてしまう。それでも時間は速まったり、待ってくれたりはしない。予想がまるでつかないセトリにワクワクしつつ少し緊張したりもしていたら、会場が暗転し、4人がステージ上に姿を現した。目の前で動いている4人を見て「実在するんだな」といつもどおりちょっと不思議な気持ちになった。


「アカシア」のイントロが聴こえてきた瞬間、同じ空間にいるみんなが "ひらいて" 、会場いっぱいに色とりどりの花が咲いていくような感覚がした。ここにいるみんなが咲き誇っている。そうやって始まったんだよ。そうやって始まったんだよ。

「Hello, world!」「天体観測」「なないろ」と夢中になって音を、声を全身に浴びる。なないろを聴いていたらやっぱり去年のことを思い出した。なないろがリリースされた日、去年の5月17日は私にとって一生忘れられない日で。目の前に道が見えていたから、これから歩いていく道はそれだと信じて疑わなかった私。けれどその道は突然崩れ落ちて、どこへ歩いていったらいいのか分からなくなって、そんな状態でふらふらしていたから絶望につまずいて、転んで起き上がれなくなった。その時、タイミングを見計らったかのように4人が届けに来てくれたなないろが、起き方ではなく起き方を知っている事を教えてくれた。 ”起き方” ではなく、それを ”知っている” 事を教える。 ”前にも転んだことがあったでしょう。そのたびにあなたは起き上がってきたでしょう。起き方を知っているからまた起きられるよ” って、これは転んでいるヤツに対するこの上ない手の差し伸べ方だと思う。気づけば自分で立ち上がれている自分がいる。前に進んでいると自分に言い聞かせていたら別の道を見つけた。その道を歩いてきた自分が今ここにいる。あの時の心の色を教えてもらったから、迷ったりしても真っすぐに歩いてこられたんだと思っている。何度すくわれただろう。戻れないけどいつかまた会おうね。



照明が落ちる。ちょっと間が長かったように思う。暗くなった会場が青い光で染められていくのを見つめながら次は何が聴けるのかとドキドキしていたら、耳に飛び込んできたのは、信じられないメロディーだった。

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ライブ前、大学時代の友人とインスタグラムのメッセージで会話していた。

「宇宙飛行士への手紙」。いつからこんなにも聴くようになったのか。たぶんもともとよく聴いていた方だったとは思うのだけれど、この曲で呼び起こされるのはやっぱり去年の1年間。なないろと宇宙飛行士への手紙は私の2021年と強く結びついている。なんかもうずっと聴いてた。ひたすら聴いてた。Apple Musicのreplay2021では、1位なないろ、2位アカシア、3位が宇宙飛行士への手紙。この3曲を狂ったように聴き続けた去年。なないろもアカシアも前回のライブ(2019年)以降に届けられた音楽なのでまあほぼ確実に聴けるだろうと思っていたけれど、宇宙飛行士への手紙がセトリに組み込まれている可能性は限りなく0に近いと思っていた私は、 ”理想は” とすでに諦めたような切り出しに大泣きしている絵文字をつけて返事をしている。

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状況がうまく飲み込めなかった。 ”ハロー どうも 僕はここ” を ”ハロー どうも 君とここ” と藤原基央が歌詞を変えたHello, world!で、4人と4人の音楽と私はいまここにいることを実感したのに、やっぱり夢?となった。なぜか一方的に勝手に諦めながらもこの耳が一番待っていた宇宙飛行士への手紙。イントロが響きだしてからしばらくの間、何の曲なのか分からなかった。求めていた音だと認識するのに時間がかかってしまって、藤ケラトプスにやっと会えたところでようやく「宇宙飛行士への手紙だ…」となった(遅い)。本当に信じられなかったんだと思う。ライブの約3週間前、「宇宙飛行士への手紙をライブで聴ける日が来ますように…いちばんの願いごと」とツイートしていた私、君の願いはちゃんと叶ったよ。私のために演奏してくれたと半ば本気で思っている。次の日には演奏されていない。あの宇宙飛行士への手紙は間違いなく私へのプレゼントだった。ああもう。言葉で伝えても伝わるのは言葉だけだからあとはもういい。ただただ、生きてきてよかった。届いた。私は、宇宙飛行士への手紙をこの耳で聴いた。

「arrows」の ”見つけたものは本物だよ  出会ったことは本当だよ” 、「Small world」の ”君を見つけて  見つけてもらった僕は  僕でよかった” から流れてきて私を包んだのは肯定だった。いろいろと下手くそな私はこの道しか歩いてこられなかったけど、この道を歩いてきた私だからこそ出会えたひとがいる。出会いも私も認めてくれてありがとう。Small worldってすごく綺麗で美しい音楽だと思う。Small worldを何度も何度も巻き戻したりして聴いていたら4:00になっていた今朝。時計にもまだ消すことのできない夜。

「銀河鉄道」ってよく考えてみたらちゃんと聴いたの、もしかしたら初めてかもしれない。普段まったく聴かないし、シャッフルで流れてきても飛ばしてしまう。 かつて友人に、 "バンプの曲で唯一興味がないのが銀河鉄道" というようなことすら話した記憶がある。そんな私に〝誰もがそれぞれの切符を買ってきたのだろう  荷物の置き場所を必死で守ってきたのだろう〟 と藤原基央は歌いかける。はい、荷物の置き場所、必死で守ってきました。 "動いていないように思えていた、僕だって進んでいる" きちんと前に進んでいるよね。銀河鉄道ってこんなすごい曲だったっけ…。

「リトルブレイバー」から「乗車権」、「Aurora」、「ray」、「オンリーロンリーグローリー」、そして「メーデー」。あの流れは今思い返しても勢いが物凄かった。聴けば、勇気のカケラといつもは持ってないはずの自信がなぜかポケットのなかに見つかる「リトルブレイバー」。「乗車権」は迫力が異様だった。なんだあの恐ろしい凄まじさ。藤原基央が叫び訴えている。私にとって生まれて初めてのライブは3歳の時に家族で行ったスピッツのライブだったのだけど、ライブというものが初めてだから大きな音にビビり散らかした3歳の私は半べそをかきながら開始早々にして耳栓をつけてしまったことを思い出した。もし3歳の私がここにいたら、藤原基央のあの歌声が聴こえた瞬間に泣きだすと思う。それくらい常軌を逸した迫力であった。

そうしてバッチバチにぶち上ってからの「Aurora」は、はじめて聴いた時よりもさらにすき。Auroraを聴くと、 "もうきっと多分大丈夫" と歌い出しのとおりに思えてくる。藤原基央がそう言ってるんだから大丈夫。魔法だね。私は泣き方が下手くそだと思う。泣き方の上手い下手の基準なんて、 ”正しい泣き方” なんて分からないけど。感情のままに泣かなくなったのは、静かに堪えるようになったのはいつからだっけ。大声で泣き出したい。なんか、泣いたら負けだと思っている自分がいる気がする。何に?そこに勝ち負けなんてないはずなのに。でも、涙は炎なんだって。そして自分で涙を拾えたら、いつか魔法に変えられるんだって。「笑う」と同じくらい「泣く」も大切にできたらいいなと思った。勇気の曲だ。大切だって事は分かっているよ。

バンプのライブに行くって、「ray」を聴きに行っているようなものじゃないかな?こんなにみんながまるっとHAPPYになれる曲ってなかなかないと思う。 rayを奏でる4人も、音符を全身で浴びて色んな色に輝き弾けているみんなも最高に楽しくて幸せがすぎる。「生きるのは最高だ」という歌詞を紡いだ時の藤原基央の感情を知りたい。"あまり泣かなくなってもごまかして笑っていくよ  大丈夫だ  あの痛みは  忘れたって消えやしない" って、消えない痛みを抱えて、ごまかしの笑顔で、それでも生きるのは最高だと感じた瞬間の藤原基央を知りたい。rayが鳴り響くあの空間がだいすきです。つなぎとめてくれてありがとう。

ライブ前、会場で会った友人とも何が聴きたいかについて話した。私は宇宙飛行士への手紙、友人は「オンリーロンリーグローリー」が聴きたいと話していた。だから曲を認識した瞬間、その友人に対する「お互い良かったね」という気持ちが心いっぱいに満ちた。めちゃくちゃ盛り上がった記憶しかない。目隠し外せ。選ばれなかったなら選びにいけ。重く響きました。

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それともうひとつ、ライブ前のやりとり。

今回のライブはなないろかアカシアで始まると思い込んでいた。
”絶妙にいい曲”というのは宇宙飛行士への手紙のこと。

「メーデー」が聴きたい。私が嫌った私の沈黙を聴きつけて、私が沈めた私を見つけるために一緒に潜ってくれた。自分を見ること見せること、他人を覗くことの勇気をくれた。私の手をとって、離さずに今いる場所まで連れてきてくれた。一緒に呼吸したメーデーを。「メーデーは私の曲だ」と母がよく言っていたな。

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ねえ今日のライブは一体どうなっているんだ?命の終わりが迫っているのでは…?と本気で心配せざるをえないセトリ。最後に「メーデー」を選ぶとは、完全に愛。見事に打ちのめされた。このライブに連れてきてくれた隣の人と、宇宙飛行士への手紙とメーデー、お互いのすきな曲を生演奏で聴けてしまったものだから、もう絶対に忘れたくない夜。いま思い返しても本当に素敵な夜だった。今日のこのライブに来られて本当に良かった。感謝でいっぱいだ。明日からもちゃんと呼吸していこうと思うよ。出会った瞬間からずっと私の酸素でした。

そしてアンコール1発目は「クロノスタシス」。クロノスタシスって私の中ではスルメ曲。リリースされた当初は、また珍しいメロディだなあと思っていたけれど聴くたびにどんどんすきになっている。次に聴ける時にはもっとノれたらいいな。それにしても、拾わなかった瞬間ばかりこんなに、今更いちいち眩しいのは本当どうしてなんだろうね。

そしてまさかの新曲「木漏れ日と一緒に」(タイトルは翌日に知った)初披露。ほんとになんだか懐かしい感じがして、とても心地よくて気持ちいい音が木漏れ日のように私たちに降り注いだ、あったかくて気持ちよかった。はやくいつでも聴きたい。

ほんとのラストは「BUMP OF CHICKENのテーマ」。へなちょこじゃないよ。いつまでも横に、そばにいてほしい。へなちょこバンドのライブに、また行こう。

やっぱりことばにするのって難しい。別に無理にことばにしなくてもいっか。

人に説明出来るような言葉になおってたまるかよ!!(急に雑)

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記憶は、思い出すたびに、伴う感情も輝きも増すように思う。人はこれを「美化」と呼ぶのだろう。思い出せる限り、何度でも輝きになって、お揃いの記憶を集めたそれぞれの中でいつまでも生き続けると祈る。だから忘れなければそれは永遠なのだと思う。あの瞬間、一瞬一瞬は今も私のなかに輝きになって残っている。思い出せば何度だってあの日を取り出せる。

でも、現実が理想を塗り替えていく日々のなかで、つまずいたり転んだり、迷ってしまったりした時にはすぐに思い出せないかもしれない。そんな時のために、ここに軌跡の橋をそっと架けておく。


これからもあの日の思い出に背中を押してもらったり、支えてもらったり、勇気をもらったりしながら生きていける。また会いたいな、ばいばい、おやすみ、ありがとう。

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