母と蛍と夜のお散歩

母と今世でお別れしてはやいもので13年が経とうとしている。つい最近Twitterで、父親を幼い頃に亡くした女性が父との思い出をエッセイにした作品を読み、唐突に「私も母との思い出を記そう!」と思い立った。もっとはやくからそうしていれば良かった。よくよく考えると母のことを何かに記録したことが無かった。きっとこの10数年で失われたり薄まってしまった記憶も多いだろう…

後悔先に立たず、、、せめてこれからひとつでも多く母との20年間の思い出を少しずつ残していきたいと思う。なんて事ない話ばかりになるだろうし、私にそう思い立たせてくれた方のように面白おかしく素敵な文章には出来ないだろうけど…


自分が小学生の頃、母とよく「夜のお散歩」をしていた。夏だけだったかな?家から徒歩3分くらい山の方に向かって歩くとお寺があって、そのお寺のちょっと手前に田んぼがあった。その田んぼの前に家から持参した新聞紙を広げて座り、なんてことない話をするのが母と私2人だけの「夜のお散歩」だった。

ちょうどその頃テープレコーダー(懐かしい代物!)にハマっていて、夜のお散歩中の会話も残していたと思う。実家にカセットテープが保存してあるから今度帰ったら聴いてみようかな(母との思い出にじっくり向き合うのはどれだけ年月が流れてもなかなかにシンドくて、特に直筆、肉声のもの、メールなどは残していてもなかなか手に取るのに気遅れしてしまう)

夜のお散歩の定番スポットがその田んぼの前だったのには理由があって、夏にはそこに蛍がたくさん現れるのだ!私の地元は自然豊かないわゆる田舎だけれど(なんたって住所が「山ノ下」)蛍が見られる場所はそうそう無かったような気がする。30匹は裕に居たはず。街灯もあまりない真っ暗なところで、夜は人もほとんど通らない、わずかな民家の灯りと蛍のフワフワとしたほのかな光り。蛙や虫の鳴き声をBGMに固いアスファルトの上の新聞紙にお尻をあずけ、田んぼの上に足をブラブラしながら、母と長い時間おしゃべりしていた。

たいていは学校のこと、友達のこと、など家の中でいつでもいくらでも話せることだったけど、わざわざそこまでお散歩しに行っておしゃべりすることが楽しかった。

私は一人っ子で、母親にとってもやっと出来た娘だったからかとてもとても過保護な程に愛されていた(らしい)。何でも話したし、姉妹のような親友のようなそんな存在の母だった。お互いに何でも話し過ぎて、あまり知りたくなかった母の本音なども聞くことになり、それはその後の私に少なからず影響を与えたから、ちょっと良くないことでもあったのかもしれないけど、母が私に吐露したことで少しでもそのとき楽になれたのならいい。でも、思わず娘にグチらずにはいられなかった母が不憫だったな、とも思う。生きてりゃグチの一つや二つあって当然だけれど、私が母親になったときにはそういった事を信頼して話せる友人を持っていたいな、とも思う。

いつからか夜のお散歩には行かなくなってしまったけれど(私が行きたがらなくなってしまったのかな?覚えていないけれどそうだったら悲しいな…)大人になった私は夏になるとあの頃の夜のお散歩を思い出す。色んな所に旅行や体験で連れて行ってもらったけれど、あの頃の一時のささやかな日常が今わたしの中で大切な記憶として保管されているから、ケの日(何でもない日)ほど大事なんだなって実感する。

今もまだあの田んぼには蛍が居るのかなぁ。居て欲しいなぁ。いつか夏に帰省したら、夫と一緒に新聞紙片手に夜のお散歩に行きたいな。

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