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★【読書記録】『「ポスト真実」の時代 「信じたいウソ」が「事実」に勝る世界をどう生き抜くか』

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『「ポスト真実」の時代 「信じたいウソ」が「事実」に勝る世界をどう生き抜くか』


「ポスト真実」、要するに真実の後にくるものが、事実に勝るようになってしまった現代社会。トランプ大統領の当選やブレグジットは、事実とは異なるデータのプロパガンダによってなされたものであり、「ポスト真実」時代を代表する現象である。
「ポスト真実」を構成する要件は下記の4つである。

1.ソーシャルメディアの影響
2.事実の軽視
3.感情の優越
4.分断の感覚

前半ではアメリカや日本における事例を中心に、「ポスト真実」が台頭する世界について取り上げ、後半ではそんな時代における情報との付き合い方や、メディア・ジャーナリズムの役割を伝えている。


感想


本書の中でなされている指摘として重要だと思われること2つと、筆者達の発言で気になる箇所2つについて指摘したいと思います。

まず、事実よりも「信じたいこと」を優越させる「ポスト真実」時代が現れる構成要素4つは端的にまとめられており、どこの国にも起こりうる普遍性を兼ね備えています。事実よりも感情に従って発言や投票をし、ソーシャルメディアによってその感情は拡散され、ますます社会の分断が広がっていきます。

感情は主に、不満が爆発したことで発露されます。トランプ大統領を当選させるきっかけとなった、没落するミドルクラスのトランプ支持者たちを追ったルポルタージュには、その不満がマグマのように煮えたぎり、筆者の持ち合わせる事実ではない、フェイクニュースを根拠としたヒラリー批判などが描かれています。


2つ目として、広告収入を得るために乱立するフェイクニュースサイトの存在を挙げていることです。広告収入を得るためにはPV数が必要で、見てもらうためには扇情的なタイトルが有効で、さらにSNSでシェアされる記事の多くはタイトルしか読まれないという実験結果もあるため、これによってフェイクニュースは拡散されていきます。
この中で悪質だと思うのが、ニュース執筆者(もしくはまとめサイトの編集者)には特段のイデオロギーがない場合もあり、人々の分断の感覚をただ「利用している」だけということ。そしてタイトルだけで拡散させる人がいるということです。
ネットニュースの広告収入を得るためという特性を誰もが理解し、容易に拡散しないことが必要です。
一方、扇情的なタイトルや記事は騙される方が悪い側面もあるほか、私は感情の優越についてしっかり取り組まなければいけない問題だと思っているので、その点でネットニュースを問題視することはしません。

問題点は次の通りです。
日比が述べる「「本音」の吐露は率直さではなく、そのほとんどが配慮をかなぐり捨てた開き直りである」という指摘は、不満を溜め込んだ人が事実を軽視するという構造や、その不満そのものに目を向ける姿勢を退けるものです。

過激な発言に配慮は必要なことですが、その配慮をする余裕がない人がいるということを忘れてはいけません。また、マジョリティの感性に配慮することを一方的に求める社会になり、多様性を損なう危険性があります。

(例えば、同性同士で結婚したいことを社会に向けて強く訴えたときに、日比のような人が「結婚は男女でするものだからそんなことを言うべきではない。異性愛の我々社会に配慮しろ、開き直るな」というような具合です)

また、この本の主に前半で行われている、(当時の)安倍政権に対する批判は事実に基づくものかと思われますが、一部に感情の上乗せが見られます。私はこの、「感情を上乗せした事実」というものにも注目しています。
筆者達は「事実よりも重視される、感情に任せたウソ」を問題視していますが、「感情を上乗せした事実」は、前提が事実であるからこそ慎重に扱わなければいけません
例えば日本におけるポスト真実という章の冒頭、5ページを割いて安倍晋三と稲田朋美の発言の嘘を暴いていき、その後半で熱を持ち、「実際には起こっていた「殺傷行為」「戦闘」について、「憲法9条上の問題になる言葉は使うべきではない」という理由から「武力衝突」と呼ぶのだと“言い放った”」、章の最後では、「陸上自衛隊は日報を廃棄したと“嘘を吐き”」というように、強くぶっきらぼうな言い回しを用いています。
自民党政権の発言が事実に反しているのかもしれませんが、「それに対抗する私は事実側の人間である」という姿勢を崩さず、その中で感情を露わにすることで、その事実に正義の怒りとも言える感情が脚色され、あたかも「その事実だけが正しいものの見方である」ような印象を受けます。
事実に感情を上乗せし、事実を脚色することで、その感情と根底にある価値観までも事実のように受け取られかねないという点は、覚えておくべきことでしょう。

「ポスト真実」のように、社会のあり方を揺るがす問題がグローバリズムや多様性を否定し、ナショナリズムと旧来の価値観を礼賛する側から出てきたとき、
リベラル側がポリティカルコレクトネスの盾をかざして、アカデミックな言葉とロジックを武器に右派に取りつく島を与えず対抗する動きにも問題が孕んでいないか考える必要もあるでしょう。

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