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013 橋渡し/bridging

 どうも、シタシマです.向こう見ずで始めたnoteですが、読んでくれている方から反応があるというのは嬉しいですね。

 今日は、今年の6月に拝聴した講演会のまとめを、今更ながら行いたいと思います.忘れないためにも、言語化の練習のためにも.
 そのレクチャーなのですが、『217レクチャーシリーズ』という建築のトークショーといったらよいのでしょうか.大阪を拠点に活動する芦澤竜一氏と平沼孝啓氏がゲストを招いてトークするもので、年に7,8回行われます.ぼくが足を運んだ今年の6月には長谷川豪氏が登壇され、どうしても生でお話を聞きたかったので、飛行機でぶっ飛ばして行ってまいりました.

 長谷川氏のトークのキーワードは「橋渡し/bridging」でした.中庸という言葉でも言い換えられていましたが、古さと新しさ、伝統と前衛、理論と感覚、といった二項対立にいかに橋を架けるか.自身の作品を振り返りながら、そんな主題を掲げていました.a+uの特集でも、「バランスをとるのではなくその両方に揺さぶりをかける」と述べており、大きなテーマの一貫性が見て取れます.
 ここで、考えるべき重要なことがあるのですが、それは「自分」のことをどう考えているかだと思います.実際に長谷川氏は講演の中で、「自分のアイデアなんかはどうでもよい」とおっしゃっていました.建築家や芸術家、その他作家のような創作を行う方々の作品は「その作者の意図や表現が作品にどう表れるか」が論点になる気がするのですが、長谷川氏の場合は自身を極力消そうとしている印象があります.そういった自分を無くすことにつとめることが、むしろ作家性になっているように感じます(作家性という言葉が正しいか不安ですが).

 またすごく印象的だったのが、設計する際の視点です.長谷川氏は、先ほど述べた「橋渡し」の中でも理論と感覚の間をつなぐものとして、模型とスタッフの2つが重要であると述べています.そのスタッフと設計を詰めていく際に「お母さんでもわかるか」という問いを大切にしていると.ただ「誰にでも伝わるわかりやすさとは違う」ということも同時に述べられていて、いまいち真意がつかめないでいる言葉です.実際に生活してみて分かるような、建築に隠された機微みたいなものかなと解釈しているのですが、どうなんでしょう.
 
 お話を聞いて、長谷川氏は「徹底的に考えた先に、その考慮した足跡が消えるような態度」で設計されているように感じました.そういう態度で建築と純粋に向き合うことが、ささやかで堂々とした建ち方をした建築を生んでいるように思います.

 ここでいったん締めくくります.さて先ほど述べたことなのですが、作家の方々は作品を作る自分をどのように意識しているのでしょうか.建築に限らず作家によって千差万別なのだとは思いますが、講演を聞いてからそんな疑問が頭の隅でぐるぐるしています.手掛かりになるような書籍などを見つけ次第、さらに理解を深めたいと思います.

ではまた.

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