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003 「自分」って1人?

どうも、シタシマです.本日も書きますねー.
 今日は、ぼくが大学へ行ってからずっともやもやしていたことを、すっきり晴れさせてくれた本について共有します.
 その本とは『私とは何か 「個人」から「分人」へ』です.図書館で背表紙を見てからずっとタイトルが気になっていました.というのも「分人」という単語をそれまで聞いたことはなかったのに、その言葉の雰囲気から「この言葉はにきっとヒントがある」と感じていたんです.

 本当の自分って、みなさんはどこにあると思いますか?この本を読む前のぼくは、誰とも接していない一人でいるときの自分がほんとの自分かなあ、なんとなく考えていたんです.けれど、この本は「そもそも本当の自分というのは存在するのか」という問いを、ぼくたち読者になげかけます.そしてその答えはノーなんです.

 本書では「分人」という概念が出てきます.ぼくらは自分と対話する他者の数だけの「分人」を持っていて、「自分」というのは分人の数とその比率でできているんです.つまり、分割不可能な1つの「個人」としているのではなく、いろいろな「分人」の集合として「自分」ができているということなんです.

 ぼくは今まで、「誰と接するときもなるべく表裏なく接するのが理想だ」と思ってきました.そのほうが誠実なのではないかと.きっとぼくはどんな人と接するときも「本当の自分」に近い状態でいたい、と思っていたんです.一方で「分人」はそういう考え方をしません.嫌いな人と接しているときも、親しい人と接しているときも、それぞれの「分人」がいる.よりよく生きようと思ったら、嫌いな人と接している「分人」の割合を0に近づければいいんです.ぼくの悩みの原因は、自分の中に常に同居していていいはずの「嫌いな人と接する分人」と「自然体でいられる分人」を二者択一で考えていたことにあったんです.この分人という考え方、相当すごいですね.本書ではさらに嫉妬や恋愛、死までも「分人」を使って明快に説明してくれます.

 本当の自分はいないんです.しかしそれは否定的なものではなく、家族をはじめとした人間関係がものすごく多様な社会で生きているぼくらにとって、心強い味方なのだと思います.現にぼくの悩みが晴れたわけですから.

 なんだかふわふわした文章になってしまいました.この本を出発点にして、20世紀に提唱された「分人」の定義との違いや、それ以前の「個人」の定義までさかのぼって考えないといけないですね.勉強して、いつかnoteに書けたらと思いますが、先は長そうです.

読んでいただきどうもありがとうございました.

ではまた.


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