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『赤きサムライ』~トミスラフ・マリッチ (再掲)

(初掲載:  HP『クロアチアに行こう!!/現地発!!クロアチア・サッカーレポート』 2006年4月28日)


「天皇杯はマリッチのためのカップだった」

 2006年元旦。ファイナル後の記者会見でギド・ブッフバルト監督は一人の戦士を讃えた。この試合を最後に浦和レッズを去るトミスラフ・マリッチ。先の契約がなくとも彼はチームのために得点を挙げ続け、浦和レッズを優勝へと導いた。

 彼のキャリアは苦労と努力の繰り返しだった。一時は呼吸困難で現役復帰すら絶望視された彼は、2005年夏に浦和レッズへと辿り着いた。一人で試合を決めるエメルソンと何かと比較されながらも、彼は不屈の精神力と闘争心、そしてチームへの忠誠心でサポーターのハートを掴んでいった。

 ピッチでは常に魂をもって戦い、ピッチを離れれば優しき紳士。彼こそ「サムライ」という言葉がふさわしい。

 インタビューは3月22日、彼の故郷ヘイルブロンで行った。何度も取材予定の試合が雪のために順延される中、最後は彼のクラブを訪れることで実現したインタビュー。トミーは初対面の私を古い友人であるかのように温かく迎えてくれ、そしてインタビューではピッチ同様に熱く語ってくれた。

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--まずは日本、そして浦和レッズでの想い出について語って下さい。浦和レッズからオファーを受けた経緯は?

 ギド・ブッフバルトがまだ現役の時に私と対戦したことがあって、私のことをよく知っていた。彼からコンタクトがあり、「コンデションは整っている。怪我もないよ」と答えたんだ。

 そして日本へと旅立った。テストとして3度のトレーニングと1つの練習試合をこなした私にクラブは満足し、契約を提示してくれた。私の友人でもあり代理人でもあるティン・バウエル氏がその契約をまとめてくれたのさ。

--日本のクラブからオファーがあると聞いた時、どのように感じました?

 「驚いた」ということをまず言わなくちゃならないね。その次に、これまでと全く違う何かを知るステップだと感じた。私は10年間に渡ってドイツでプレーし、クロアチア代表でもプレーをした。ヨーロッパでの経験は充分にあったが、日本はそれとは全く別の世界だ。さほど悩まなかったよ。オファーを受け取ると私と妻は直ぐに支度を始めたんだ。

--日本という異なる社会に慣れるのは難しかったですか?

 旅立つ前は慣れについて考えてはなかった。日本で何が待っているか、何が起こるかは分からなかったからね。もちろん入団した当初は少し辛かった。多くのサポーターは私が誰だか知らないわけだし、私とポンテが加わって間もないチームは上手く機能しなかったからね。ただ個人に関していえば、クラブもチームメートも私を温かく迎え入れ、そして助けてくれた。人生において全てが新しいことばかりだったし、そこで私は学び、自らを発展することができた。そんな機会を人生で持てたことを本当に嬉しく思うよ。

--ジェフ千葉戦(ナビスコカップ、8月31日)でストヤノフの肘打ちで頬骨を陥没骨折するという不運もありましたが。

 ゴールを決めた試合だったのに怪我をしてしまったのは残念だった。悲しんだり失望したけれども、チームメートやドクター、クラブが私をしっかりと支えてくれた。「問題はないよ。これから頑張ろう」と言ってくれたんだ。怪我を乗り越える際には努力とトレーニングが必要だ。またチームが思うように行かない時でも私たちはトレーニングを懸命にこなした。「成功は必ずついてくる」と自分に言い聞かせてきたのさ。だから最後には最高の形で終わることができたんだよ。

--マスクをつけてまでプレーをしたことで、サポーターもあなたの情熱的な性格を知ったのではありませんか?

 テクニック面で私より優れた選手がいることは自分も分かっているし、ドイツで私を知る人達もそのことは折り込み済みだよ。サッカーはテクニックを持った選手やスピードのある選手だけでは機能しない。強いハートで試合をモノにしていくんだ。最高のテクニック、最高のスピードを持った選手でもハートや闘争心が無ければ価値はない。また苦しい時でもポジティブになれなければね。ハートというのは選手の根底にあるべきものだ。サッカーはいつも戦いだからね。懸命に走り、そして努力する。そうすれば残りの要素も自分についてくるものだよ。

--そしてあなたは天皇杯でゴールを決め続け、浦和レッズを優勝へと導きました。

 スポーツ選手ならば勝利を収めたい、お金を稼ぎたいという願望はあるだろう。それもいいことだが、やはりタイトルを獲得することが最重要だと思う。キャリアを終えても子供達に「浦和レッズの一員として天皇杯に優勝したんだ」と言えるのだからね。タイトルはお金で買えないんだよ。また、あの日本での経験も買うことはできないんだ。神様が私に褒美を授けてくれたんだろうね。浦和レッズという素晴らしいチームに所属したこと、また魂を持った選手達に囲まれたことは本当に嬉しいことだった。彼ら全員が正々堂々と戦った選手達だった。だからこそ辛い時期を努力で乗り越え、最後には天皇杯の決勝で勝利できたのさ。我々は優勝に値したチームだったよ。

--試合後にレッズ・サポーターが残ってあなたの名前をコールし続けたことについては?

 人生であのような場面に出くわしたら絶句するものだよ。今でも言葉では表現できない。本当に信じがたい経験だったから。ちょっとした感動だったら口にできるだろうけどね。けれどもあの感動は余りに大きすぎて、とても何かには例えられないよ。

--契約延長がないと知りながら、あなたはゴールを決め続けました。あの頃はどうやってモチベーションを維持していたのですか?

 私のことを知っている人ならばなぜかは分かるだろう。練習試合だろうが公式戦だろうが、試合という試合で私は常に勝利を求めている。トレーニングですら負けたくはない。必要ならば相手を殴ってでも試合で勝利を収めたいという気持ちになる。

 契約延長を提示されなかったのはクラブが新たなプランを持ってたからであり、私はその決定を尊重している。けれども、「契約が切れるから試合に負けたところでも関係ない」と、ピッチ上でエゴイストになるなんて私にできない。5万人の観客がスタジアムに集まり、遠いところからも来てくれるサポーターもいるんだからね。

 「新たな選手が来るので契約の延長はない」と聞いた時は悲しかった。でも「残された日々があるんだからリーグ優勝に貢献しなくてはならない。そして天皇杯優勝も。全力を出すんだ」と自分に言い聞かせた。頑張ったけれども、残念ながらリーグ優勝はできなかった。でも天皇杯というタイトルを勝ち取れたことは重要なのさ。契約云々は関係なく、緑のピッチに立てば私は勝ちたいという欲望に駆られる。私のそんな欲望は誰もが察してくれるよ。それがサッカーではなくビリヤードの対決であってもね。

--あなたの忠誠ぶりから「サムライ」と呼ばれたことに関しては?

 それは賞賛と受け止めているよ。サムライは誇りを持って戦う人達だからね。サポーター達がそう呼んでくれていたことは気分が良かった。私はここヘイルブロンで生まれ育ったんだけど、子供の頃は私よりテクニックに優れた選手はたくさんいた。でも両親がいつも私を支えてくれ、今のような人間に育ててくれたんだ。戦うこと、努力すること、そして人を尊敬することを両親はいつも教えてくれんだよ。

--ヨーロッパと日本のサッカーの違いは何だと思いますか?

 日本は非常にスピードがあり、テクニックに優れたサッカーをする。率直にいってヨーロッパとのレベルの差は大きくないと見ているよ。浦和レッズがブンデスリーガに入ったとしても問題なく戦っていけるだろう。唯一日本のサッカーに欠けるものを挙げるとしたら、アグレッシブさや汚さといったものだ。フェアプレーがいつも必要なのはもちろんだけれど、ポジティブな意味でチームのためにやらねばならないアンフェアなプレーというものもある。不必要かもしれないけれども、審判の判定に抗議するとかね。私は相手選手と喧嘩することがあるけど、それはチームのプレーが機能してない時に敢えてやるのさ。何かしら変化をもたらすことが必要だからね。でも試合が終われば相手に手を差し伸べ、最高の友達となる。それが一つの「ファイト」だよ。私は相手を尊重しているけれども、自分のチームのため、そしてサポーターのために最大限の力を発揮しようと試みる。アンフェアなことをするかもしれないが、それはポジティブな結果をもたらすために自分の全てを出すことなんだ。

--ではヨーロッパと日本の選手の違いは?

 例えば長谷部(誠)を例に挙げよう。彼がヨーロッパへと渡るのはそう遠い話ではない。テクニックに優れ、ボールさばきも完璧なファンタスティックな選手だ。彼はヨーロッパでキャリアを作るべき選手だと思うよ。そこで先ほど話したようなアグレッシブさや汚さというものを学んでいくはずだ。汚さというのはサッカーにおいてネガティブなことではない。マンチェスター・ユナイテッドで活躍したロイ・キーンみたいな選手がいるわけだからね。長谷部以外にも三都主(アレサンドロ)、(田中マルクス)闘莉王など日本には素晴らしい選手が本当にたくさんいる。ここ数年、ヨーロッパでも日本の選手がプレーするようになったけど、Jリーグで現在プレーしている中でもヨーロッパで問題なくやれる選手がいっぱいいると思うよ。

--現在の日本代表には三都主、長谷部、坪井(慶介)といった選手が名前を連ねますよね。

 田中(達也)を忘れてはいけないよ。彼も最高級の選手だ。別のクラブの代表選手について私は語りたくない。毎日一緒に練習や試合をこなしたからこそ言えるけど、名前を挙げた浦和レッズの選手達は本当に素晴らしいね。

--もし機会があれば、浦和レッズをもう一度訪れたいですか?

 ゲストという形で日本、そして浦和を訪れ、試合を観戦したいよね。選手として? 人生において何が起こるかは決して分からないけれども、今はホッフェンハイムと契約があり、一部参入という大きな目標を達成しようとしている。でもいつかは妻と一緒に日本の友人達を訪ねる日が来ることを願っているよ。

--浦和レッズのサポーター達にメッセージはありますか?

 いつも繰り返して言っているけど、彼らはこれまで私が経験したことのないほどの最強のサポーターだ。応援ぶり、組織ぶり、クラブへの後押しは本当にファンタスティックだ。彼らのためにも浦和レッズは毎年タイトルが必要だと思うよ。600km離れたアウェーの地であっても浦和レッズのサポーターが応援に訪れてくれるのだから。自分のキャリアにおいて彼らの存在を知り、サポートを肌で感じられたことは幸せだ。

--日本での日々はあなたに何をもたらしましたか?

 とても貴重な経験を培ったと思う。日本という国を知り、新たな文化を知り、そして日本の人々と知り合えたのだからね。また私が所属した浦和レッズというクラブは組織面、サポーター、スタジアムのいずれもがトップクラスだった。日本では良いことばかりを味わったよ。「日本はどうだった?」と周囲に聞かれると、「日本国民、浦和レッズというクラブ、そしてサポーターは本当に素晴らしかった」と答えている。また日本に行く機会があったら嬉しいよね。

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--現在はドイツ3部のホッフェンハイムでプレーしていますが、どうやって進路を決めたのですか?

 浦和レッズ退団ののち日本のクラブ(大宮アルディージャ)からオファーがあったけど、そちらへ行くことはできなかった。浦和レッズのために戦い、そして天皇杯の祝杯を味わったことで、日本で私がプレーすべきクラブは浦和レッズだけと誓った。「他の日本のクラブでプレーはしない」とね。

 私は魂でサッカーをしている。一つのクラブのために戦ってきた私が、優勝から4週間後に別の日本のクラブに移るなんてことはできないよ。プロ選手として割り切る必要はあるのだろうけど、私の心がこう言ったのさ。「トミー、君は浦和レッズにいたんだよ。そこで最も美しい経験をしたんだ。そのままにしておくべきだよ」ってね。

 私はヨーロッパに戻り、どのクラブで続けるか考えた。フランス、スペイン、ドイツからのオプションがあった。そうしたらホッフェンハイムのフロントから打診があったのさ。長い時間をかけて、彼らは私を説得した。ホッフェンハイムはブンデス1部参入の野心を持ったクラブで、いずれはそのサクセスストーリーがドイツで語られることだろう。遅くとも3、4年後にはブンデス1部に昇格するという目標があるんだ。3万人規模のスタジアムも建設予定だよ。

 私が難題にチャレンジすることが好きだとは周囲の誰もが知っている。1年だけプレーして「さようなら」なんてことはしたくない。また1部でプレーした選手が3部でやることは楽じゃないことは分かっている。給与だって激減するわけだからね。でもここで何かを成し遂げられるという可能性があるんだ。クラブに携わる人々を助け、2部そして1部への昇格を目指すことは私にとって大きな挑戦だ。だからクラブは3年半の契約を提示したくれた。あとは本拠地が両親や弟も住む私の故郷(ヘイルブロン)に近いということも入団決定の理由となったね。

--クロアチア代表では不運に終わりました。2001/02シーズンは絶好調だったのにもかかわらず、初めての代表召集(2002年2月・ブルガリア戦)を前にして肋骨を骨折。結局は日韓ワールドカップ出場を逃してしまいました。

 他人から見れば私のキャリアは多くの不運と怪我に見舞われたかもしれない。でも私は違う見方をしてて、むしろ多くの幸運に恵まれたと思う。怪我を治すたびに試合へと戻れ、こうして一番好きなサッカーをやれているんだからね。残念ながらサッカーをする以上は怪我を考慮しなくてはならない。とりわけ私はペナルティエリアに入って激しいプレーをするからね。その結果、頭や足、肋骨などを負傷した。だけど私は何も後悔してないよ。いつもピッチで懸命に働き、努力し、そして戦ってきたんだからね。困難な時ほど私は頑張ろうと心がけた。努力に次ぐ努力は報われているはずだよ。

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--続くユーロ2004予選の途中では呼吸困難に襲われ、長くピッチを離れることになりました。

 それは私にとって本当に辛い時期だった。その頃がまさしくキャリアの絶頂期で、代表でもクラブでもレギュラーだった時だったからね。呼吸困難は背中のトラブルから来たものだった。けれども私の妻や家族の助けもあって危機から脱することができたんだ。人生をポジティブに変えることに成功したんだよ。それからも私はピッチで働き、そして戦った。もし病気の頃に「僕は日本でプレーし、カップを制するんだ」と言っていたら普通じゃないと思われただろうね。でも努力と頑張り、戦う意欲というものは失われなかった。人間というものは辛い時こそ前向きな心を持つべきで、そうすれば全てがポジティブな方向に進むものなんだよ。

--あなたはクロアチア国外で生まれたクロアチア移民ですよね。

 私たち移民は異国に住んでいるとはいえ、クロアチア人として育てられた。クロアチアという国には特別な感情を抱いているんだ。クロアチア生まれの人が祖国を愛するのは当たり前のこと。だけど私たちはクロアチアを愛しているけど、祖国には住んではいないという「痛み」が自分の中にあるんだよ。だからクロアチア代表のチャンスが与えられた時には自分をもっとアピールしようという気持ちになるんだ。クロアチアで生まれ、クロアチア・リーグを経てきた選手達は元々祖国で知られているけど、私たちは祖国で最初は知られない存在だったわけだからね。

 異国で生まれてきたがために祖国とは別の国のリーグでキャリアを築き始めなくてはならなかった。私はクラブにおいてもポジションを奪うために二倍の力を出して戦った。クラブがスター選手を買ったとしてもね。子供の頃から私はドイツにおいても外国人だった。ここの法律は尊重しているし、ドイツ人のメンタリティも尊重している。クロアチアはクルブ(=クロアチア語で「血」)を与えてくれたが、ドイツはクルフ(=クロアチア語で「パン」)を与えてくれたことに感謝しているよ。けれどもドイツで生まれたとはいえ、ここでの私は外国人であり、そのように振舞わなくてはならなかった。つまり私は我が家(=祖国)にいなかったということだ。そのようなメンタリティはクロアチアで生まれ育った選手達とは違うものだろう。彼らはクロアチアに最初からいたわけだからね。これはあくまで私が感じたことで、他の移民選手もそうだとは言えないよ。でも私はそのようにいつも考えてきたし、今でもそう考えている。

--そんなあなたがクロアチア代表でプレーした時の気持ちは?

 祖国のためにプレーする時はいつでもプレッシャーがあった。けれども同時にとても大きな名誉だった。満員のザグレブのスタジアムに足を踏み入れ、国歌を耳にした感情は言葉で説明しがたいよ。昔はアレン・ボクシッチ、ズボニミール・ボバン、ダヴォル・シュケルらがプレーする代表をテレビで観ながら、自分があの場にいることをいつも思い描いていた。想像して欲しい。異国で練習し、働き、そして戦ってきた私がようやく我が家に戻れたんだから。ベルギー戦(2003年3月)で私は80分を過ぎた辺りで足に痙攣が起きた。けれども雰囲気に乗せられて最後までプレーしたよ。祖国のためにプレーするということは特別なことで、とても素晴らしいことなんだよ。

--クロアチア代表への未練は?

 もう私は33歳だからね。ワールドカップでは私の国、クロアチアを応援するよ。また半年間で多くを私に与えてくれた日本も応援するつもりだ。クロアチア代表と私の縁はもう終わってしまった。日韓ワールドカップ、欧州選手権に出場するチャンスはあったけど、残念ながら怪我と病気でそれぞれ出場を逃してしまった。けれども私は泣かないよ。キャリアにおいて良いことはたくさんあったし、その記憶はきちんと残っている。代表でプレーすることはなくとも私は最大のクロアチアのサポーターだし、また最大の日本のサポーターでもあるよ。

--では、そのワールドカップについて。日本とクロアチアが同居するグループFについてどう考えますか?

 非常に興味深いグループだ。まずはブラジルが最大の本命。グループリーグだけでなく大会そのもののね。けれども試合は90分続くから、どんな風に終わるか私は楽しみにしている。私はブラジル、クロアチア、日本の間で接戦になると思う。この三ヶ国間の対戦結果が決勝トーナメント進出を決めると見ているよ。オーストラリアにも良いサッカー選手が存在し、評価はしているけど、彼らが決勝トーナメントに進むのは難しいだろうね。

--クロアチア現代表の特徴は?

 今の代表の戦いぶりを気に入ってる。規律がある上にハートを持ってプレーしているからね。自分達の力を証明しようという願望も見られるよ。また相手が来るのを待つことはせず攻撃的に挑み、イニシアティブだけでなく運すらも自らの手で掴もうとする積極さがとても好きだね。

--ならば、クロアチア現代表の弱点は?

 もし私がそれを口にしたら日本人は私を愛してくれるけど、クロアチア人は私を嫌ってしまうだろう。だから何も言わない方がいいかもね(笑) 冗談だよ。どのチームも弱点はあるものだけど弱点に注目するのは好きではないんだ。いつもポジティブなことばかりを考え、それを話しているからね。

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--日本が警戒すべきクロアチアの選手は誰ですか?

 11人全員に気をつけなくちゃいけないよ(笑) クロアチアはとても良い選手が揃っている。私ともツートップを組んだダド・プルショは経験を備え、かつ危険な選手だ。ダリヨ・スルナは素晴らしいFKを蹴ってくる。ルーマニア戦(2002年11月)では彼のセンタリングから私が得点を決めたんだよ。

 彼らとは一緒にプレーしただけに、今の代表にはクオリティある選手が揃っていると口にできるのさ。彼ら全員がヨーロッパの名門でプレーしている。でも誰かを特別に警戒しろとは言う必要はないよ。クロアチアの新聞もどの日本選手を警戒すべきか質問してきたけどね。日本、クロアチア、ブラジル、アルゼンチンといったチームは11人それぞれがクオリティを持っている。チームのどの選手もちょっとしたミスを利用してくることだろう。だから誰かを警戒して、という話をするのは好きではないよね。

--けれども三都主と相対するスルナは? かつてのチームメイトだった三都主の守備面は問題視されています。

 二人とも一緒にプレーしただけによく知っている。二人は非常に似た選手だ。攻撃面では非常に優れているが、間違いなく守備ではスペシャリストではない。つまり彼らは攻撃におけるスペシャリストだ。二人とも良いFKを持っているしね。でも三都主はスルナより経験ある選手で、日本代表としても60試合以上の出場歴がある。きっとこの両者の対決が試合の鍵となるはずだ。どちらが守備の仕事をこなせるかで試合が決まると思うよ。三都主をマークしなかったら危険な攻撃を仕掛けてくる。同じくスルナもそうだ。どちらの選手が調子が良いか、そしてそれぞれがサイドのスペースを埋める仕事をきちんとこなせるかが重要になってくるだろう。

--日本が警戒すべきクロアチアのプレーは何でしょう?

 スルナの斜めからのFKに気をつけなくてはならないよ。クロアチアには跳躍に優れた選手がいるし、ヘディングに優れた選手もいるからね。ニコ・クラニチャールはまだ本調子じゃないけど、一人で試合を決めるクオリティを持った選手だ。ロングパスやキラーパスの出し方も分かっている。かつての調子が戻るよう期待はしているけどね。彼のような選手を警戒しなくてはいけないだろうけど、やっぱりセットプレーがクロアチアで最も怖いプレーだろう。とりわけスルナのFKからのね。

--現在の日本代表の印象は?

 テクニックに優れた綺麗なサッカーをするよ。コンビネーションによる攻撃を許してしまったらクロアチア代表も危険な形を作られることだろう。ただ日本は最後のシュート場面でちょっと問題を抱えてしまうと思う。つまり決定機にさほど強くないということだ。ただ選手達にはフィジカルに優れ、スピードと機動力、テクニックがある。それを活かしたコンビネーションプレーはどんな相手にも通じる。相手がブラジルであってもね。

--日本代表ではどの選手を評価していますか?

 まだ多くの機会を得られていないとはいえ、長谷部が日本代表の一員としてドイツで見られるのならばとても嬉しいよ。彼のことはとても評価しているし、代表に値する素晴らしい選手だと思う。若くして浦和レッズの殆どの試合に出場しているんだから。彼を選ぶようジーコにプレッシャーを与えなくてはいけないね。

 あと中村(俊輔)もお気に入りの選手だよ。ボール扱いがとても上手く、キープの仕方や散らし方も分かっている。既に話したけれども、三都主もクオリティの高い選手だ。

--クロアチア戦で日本代表の取るべき布陣・戦術は?

 現役を引退したあとはコーチ業に進もうと考えているんだけど、一選手としても一コーチになっても私の哲学はいつも攻撃的だ。待つよりも攻撃する方を好む。考えずにただ攻撃するだけでは意味がないけど、相手を押し込むことは必要だ。日本代表がどう戦えばいいかはジーコが一番良く知っているはずだよ。彼は経験ある人物だし、クロアチアを相手にした戦い方は分かっているだろう。でも私が思うには、日本が超守備的にプレーしたとしてもゴールは奪われるだろう。決定機で危険な選手がクロアチアにいるし、数少ないチャンスでもゴールを決めてくる。だから日本は深く引くのではなく、なるべくボールを自陣ゴールに近づけないように攻め込む必要がある。私が知っている限り、クロアチアのズラトコ・クラニチャール監督が守備的なプレーをしてくるとは思えない。相手に注意はするだろうが、イニシアティブを取ってゴールを狙ってくる指揮官だ。日本が相手だからではなく、ブラジルやアルゼンチンを相手にしてもそのようなプレーを挑んできた。今のクロアチアのチームは攻撃をより好む方向性にあるからね。

--クロアチア戦の試合展開はどう予想していますか? またスコア予想は?

 予想はとても難しいよ。とりわけワールドカップはね。ドイツが良い例だよ。子供の頃からドイツ代表を見てきたけど、彼らは親善試合でいつも負けてしまう。でも大会が始まったら全て勝ってしまうんだ。親善試合と大会は別のもの。親善試合では選手達の多くが真剣に挑みながらも、頭のどこかでは怪我をしないようギリギリの場面で気をつけるものだからね。また大会前には一ヶ月近くに渡って合宿もある。本大会が始まり、それぞれ一試合ずつ終えたところでようやく予想を語れるよ。敢えてワールドカップ優勝の最大の本命を挙げるとしたら、私にとってはブラジルではなくてイタリアだよ。

--F組を突破する2か国はどこでしょう?

 ブラジルは間違いなく決勝トーナメントに進むことだろう。もし落ちるなんてことがあれば大きなセンセーションだ。2位争いは日本かクロアチア。直接対決でどちらが先に進むか決まるだろう。私はクロアチアの方が少し有利だと思う。より経験のあるチームだから。でも一試合だけなら何でも起こりえるよ。

--もし日本が決勝トーナメントに進んだらどこまで行けるでしょうか?

 もしグループリーグを突破したならば、その後は何が起こってもおかしくはない。一発勝負が続くからね。欧州選手権のギリシャを見ただろう。フォワードの選手としても経験はあるよ。リズムさえ乗ってしまえば、その勢いのままに進んでしまうことがあるのさ。重要なのはグループリーグを突破すること。その先は決勝まで勝ち進むことだってある。何が起こるかなんて誰も分からないよ。

--日本のサポーターとヨーロッパのサポーターの違いは?

 私が眼にした違いというのは、日本のサポーターは90分間応援してくれるということだ。チームが思うようにいかない時こそ彼らは応援に力を入れてくれるのさ。ヨーロッパは少し違っててサポーターは直ぐに自分のチームの選手へブーイングし、攻撃しようとする。チームが機能しない時は20分の段階でもブーイングされるからね。でも人間はどんなことでも慣れるものだよ。ブーイングは一つの圧力でもあるし、そのような状況で生きていくことも学ばなければならない。

 ただ、選手としては日本のサポーターの方が良い気分でポジティブにプレーができるよ。選手がミスをしたとしても関係なく、彼らはチームを応援で90分間助けてくれている。そのスタイルがとても気に入ったし、魅力に感じたよ。

 クロアチアのサポーターと日本のサポーターはハートを持って応援する点、自国のために90分間応援する点がとても似ているね。クロアチアと日本の試合では両方のサポーター同士が仲良くなると思う。暴力などの問題などは決して出てこないよ。どのサポーターも試合に訪れるのが楽しいはずだ。両方のサポーターをどんなものか知っているだけに、スタジアムはきっと素晴らしい雰囲気になるだろう。

--最後に日本へエールをいただけますか?

 私はクロアチア人だから祖国を応援するのは当たり前だけど、日本代表にはワールドカップで大きな幸運があることを願っているよ。とりわけ選手達には怪我がないことを祈っている。それが最も大事なことだからね。また日本のサポーター達がドイツの滞在を楽しんでくれればと思っているよ。日本の皆さんは6ヶ月もの間、私を温かく迎え入れてくれ、まるで我が家にいるような気持ちにさせてくれた。もしドイツで日本人サポーターを見かけたり、困っている日本人と出会ったならば、アットホームな雰囲気で我が家へと迎え入れるよ。 

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○トミスラフ・マリッチ Tomislav Marić

・1973年1月28日生まれ 181cm、78kg
・ポジション フォワード
・クロアチア代表歴 9試合2得点

 わずか6ヶ月間の浦和レッズの在籍だったが、昨年の天皇杯で契約延長が提示されなくとも5試合連続で6ゴールを決める活躍ぶりをみせ、浦和レッズを25年ぶりに同大会優勝に導いたクロアチアの「サムライ」。

 クロアチア移民の二世としてドイツのヘイルブロンに生まれる。1994年にカールスルーエでプロのキャリアを始めると、2000年にはシュツットガルト・キッカーズからヴォルフスブルグへと移籍。2001/02シーズンには5試合連続で9ゴールという記録を叩き出し、キッカー紙の年度ベストイレブンに選出された。しかしシーズン途中に肋骨を骨折したために代表のテスト機会を逃し、最終的には日韓ワールドカップ出場を逃した。その後は代表のレギュラーに定着するも2003年には原因不明の呼吸困難を患って長期療養。その後はボルシア・メンフェングランドバッハにレンタルされるものの目立った活躍もなく、ヴォルフスブルグと契約の切れた2005年7月に浦和レッズにテストで入団した。頬骨を骨折する不運に見舞われるものの不死鳥のように蘇り、Jリーグで13試合8得点。また天皇杯ではレッズを優勝へと導いた。大会後に契約切れで浦和レッズを退団。2006年1月にドイツ・レギオナルリーガ(3部)のTSGホッフェンハイムに移籍した。愛称はトミー。

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