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「ほら! 勉強しないで。天気がいいから、海に行って遊ぼうよ。」

部屋で横になって本を読んでいると、祖父に叱られた。長い夏休みの間、私は本を読むことしかできませんでした。
数十年前の海辺の町。毎年、私はそこで夏を過ごしました。

怒りであろうと愛であろうと、人は常に対象を求めます。目標がなければ、私たちの活動は無意味です。
しかし、感情であろうと論理であろうと、それは常に人の内から生まれるものであり、実際には対象を必要としません。
では、なぜ私たちはいつも誰かを求めているのでしょうか?
その理由の一つとして、人が自分自身を客観化するには一定の時間がかかることが考えられます。

その町には親友がいなかった。浮き輪を持って浜辺に行けば、少し泳いで浜辺に座ることしかできませんでした。
祖父が孫のことを気遣っていたに違いないことを今では知っています。私は本を​​読んだり、紙に落書きしたりするのが好きな内向的な子供でした。

その期間が過ぎると、人は自分自身を対象として考え、感じ、決定するようになります。
そして、その期間が過ぎていないうちは、愚かにも他人を対象として憎んだり、愛したりするでしょう。

当然、本は読者に対抗しませんし、紙と鉛筆は自律的に動きません。要するに、読書や勉強は人間に対して非常に従順です。
したがって、勉強は人を訓練しません。読書は、読者に反対意見を押し付けることはありません。
最近の私なら、一人でも海で遊べると思います。海風が吹く太陽の下で笑えるようになりました。

今日の記事は以上です。ありがとう

#日経COMEMO #NIKKEI

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