演繹的思い込みによる間違いと、帰納的経験則に基づく科学的合理主義

人間は思い込みで動くこともあれば経験則で動くこともあります。

思い込みは、自分の頭の中にある何らかの理論や理屈を、その場の状況に演繹的に当てはめてしまいます。それが本当にその場面に適したものかどうかを精査することなく、いわば適当に理屈を流用してしまうために、場合によってはとんでもない失敗を招くことになります。

一方で、経験則というのはこれまでの過去の経験から導き出した理論・理屈を帰納的に頭の中で作り上げて、似たような状況に出くわしたときに引っ張り出して行動の源にします。

思い込みと経験則は全く異なるアプローチから生まれて実行されるものですが、「思い込み」と「経験則」の使い方を間違った例として、1990年代前半に気運が高まった二大政党制とそのための小選挙区制が、個人的には格好のものかなと思いました。

議会制民主主義の模範としてイギリスやアメリカを持ち出し、その両国での二大政党制を理想として持ち上げ、そのために小選挙区制を導入すべきだという人は結構いて、反対もありましたが結局は半ば強引に導入されました。

その結果として二大政党制は一時的に成立しましたが、今の政治情勢は多分、あの時二大政党制を持ち上げていた人たちが満足できるものではないはずです。結局は自民党の一強になってしまいました。

小選挙区制→二大政党制→自民党一強体制の打破という理屈だったはずですが、そもそもが間違った思い込みだったのでしょう。

第一、二大政党制がまともに長期間機能していたのがイギリスとアメリカだけで、その他の世界の国々はみんな政治制度が間違っているということになってしまいます。さらに言うと現在のイギリスはもはや二大政党制とは言えませんし、まだ二大政党制が成立しているアメリカ合衆国の現在を、理想の政治情勢だと言う人など存在しません。

さらに言うと、かつての日本でも二大政党制が存在した時代はありました。1920年代から30年代にかけての数年間でしたが、そこでの激しい政争が国民からの信頼を失い、二度のクーデターを経てデモクラシーが崩壊しました。

過去にしろ現在にしろ現状を見逃さずに経験則を組み立てたら、二大政党制をとにかく導入すべきだという理屈にはならなかったはずです。政治はその国の歴史や思想、文化などによって規定されるものであって、外国の制度を無理矢理導入するだけでは理想には近付かないでしょう。

今のイギリスが二大政党制では無くなったのは、EU加盟とその前からの移民の大量流入により人口構成や文化も変わってしまい、二大政党制の歴史を抱えている人間の割合が減ったからでもあると思います。EU加盟によってイギリスは栄光ある孤立と呼ばれた島国から、二大政党制ではない大陸各国と同じ欧州国家に変わったのでしょう。

西洋のかつての成功と繁栄は、科学的合理主義によるものでした。

しかし今の西側諸国を見ると、科学的合理主義に基づかない考え方にも影響されています。自由や人権ももちろん大切なものですが、それらと科学的合理主義がバッティングした場合にあまりにも前者を優先しすぎてきたのかも知れません。

国民の分断に悩む、二大政党制国家であるアメリカ合衆国では一応はバイデン大統領の誕生になりそうですが、トランプ陣営の無茶は続きます。

トランプ大統領とその支持者の考えの多くが、反トランプ側よりも科学的合理主義に基づかないことについては疑う余地はありません。

しかし、トランプを支持するなんてあり得ないと思っている反トランプ陣営は、国民の半分近くが今回もトランプに票を投じたことをどのように受け止めているのでしょうか。

わずかの差でしかバイデンが勝てなかったことを無視してしまえば、結局はあれほど非難していた国民の分断は今後も続くでしょう。

「なぜトランプに投票したのか」

という疑問を解消できなければ、4年後にトランプ本人か、彼に近い思想を持った新候補者がまた、国民の半分近くの票を得て民主党候補と激戦することは間違いありません。

バイデンが勝ったことでアメリカが科学的合理主義に基づく繁栄のサイクルに戻るかどうかはまだわからないのです。

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