農奴制とフェアトレードとモノカルチャー

中国政府が新疆ウイグル自治区においてウイグル族を強制労働させている、という批判が欧米を中心に強まってきました。

その中で、新疆で生産されているコットンが強制労働の産物であり、新疆綿を製品に用いているアパレルメーカーも批判の対象になっています。

日本にも新疆綿というブランドで売っているメーカー、商品が色々ありますが、今後は無くなっていくでしょうね。

綿の産地は他の地域だとインドなどにもありますが、しかしインドも結構差別の強い地域ですが、「インド綿」には問題はないのでしょうか?

そんなことを言っていたら何も商売できなくなってしまうかも知れませんが、綿に限らず様々な国際取引で「フェアトレード」が求められている昨今を考えると、農産物の生産者が、先進国で販売者が得ている利益に関われるようになるのは社会的な要請でもあります。

新疆のような政府による弾圧の一環として行われる労働みたいなものはともかく、割に合わない取引はしなくていいとか、そもそも他の仕事をすればいいのではないかとか、無関係な人からすれば考えてしまいかねません。例えばコーヒー豆の生産などで、大量に先進国の巨大商社がごっそり買っていくのに生産者が貧しさから抜け出せないのなら、別の農産物を作ったり農業止めればいいじゃないか、ということです。

しかし、ことはそう簡単ではなくて、そもそも他の選択肢が存在しない人にそのような言い方をしてもどうしようもありません。

フェアトレードが徐々に浸透しつつありますが、そもそも商売、交易、トレードというのは双方が合意して成り立つものです。本来であればわざわざ「フェア」「公正」「公平」という概念が内包されている契約関係です。しかしそれでもフェアではないトレードが存在するというのは、その農民・農業を取り巻く環境に原因があります。

かつてのヨーロッパ、特にロシアでは19世紀後半まで農奴制が存在しました。もちろんロシアだけではなく、日本を含む他の国でも似たような制度はありました。

農奴制の問題には、高率の地代を課されたことで貧しかったこともありますが、土地を勝手に離れたり農民であることを辞めたりすることが出来なかったという。農民ではなくなることの自由が無かったわけです。

それは今でも似たような問題として存在します。

かつてのロシアの農奴制よろしく、生産者がその作物を育てる農業を止めたら生きていけない環境に置かれています。その作物を貿易商社が買ってくれないと自分や家族を養っていけない社会環境にあるから、安い値段を提示されても売らざるを得ないということになります。

日本の農協みたいな組織があるわけでもないでしょうし、別の作物への転換も簡単ではありません。その地域、あるいは極端な例ではその国では単一の農作物が外貨を稼げる輸出品として推奨されていれば、それを作らざるを得ませんし、他の作物を買ってくれる商社を探すのも一戸の農家レベルでは無理でしょう。

結局はその農作物を作っている地域の政府の問題ではあるのですが、世知辛い世の中では国際的な巨大商社の方が国家・政府よりも強い権力を持っている場合があります。権力で押し切られるのではなく、商社と癒着してしまう政府だって存在します。

そういう、政府にも商社にも搾取される農家、生産者を支えましょうというのがフェアトレードの理念ですが、それにより多少値段が上がっても、トータルで見れば先進国の消費者にも最終的には利益がありますよ、というところをアピールできるかどうかが当面の課題でしょうかね。

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