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褒めることは難しい

褒めるということは簡単なようで難しいです。

怒る、けなす、叱る、あげつらう、批判する、非難するということは精神的な負担を考えなければ、褒めるよりもたやすいかも知れません。

褒める場合、本当に良いところを見つけて褒めることもあれば、相手を励ますために半ば無理矢理に褒めるケースもあります。前者はそのままそれでいいのですが、後者の方はかえって悪く受け止められたり勘ぐられたりしかねません。

相手に嫌味に取られず、周囲にもおべんちゃらにも思われず、ただあるがまま良いところを受け止めて褒めることが出来るのは、ある意味一種の才能と言えるでしょう。

注意しないといけないのは、褒める際に他のものと比較して褒めてしまいがちだということです。

「○○と比べて良い」
とか
「あなたはこういうところが××と違って素晴らしい」
といった相対的な褒め方をしてしまうと、あくまで比較対象との差をほめているだけであり、褒めることによる効果は薄くなる一方で、比較対象をけなしていることになります。そしてその比較対象の側に褒めている内容が伝わった場合、褒める人だけではなく褒められた人も憎悪や反発の対象になってしまいます。

これでは褒めるだけ逆効果になります。

逆に、叱ったりする場合にも同じことがあり得ます。

「△△はきちんとしているのにお前はダメだ」
とか
「□□は君みたいなようなことしないよ」
という感じに、自分が怒られながら他人が褒められているのを聞かされるのは嫌なものです。先の例の全くの裏返しです。

褒めるのも叱るのも、相対的な指摘なのか絶対的な指摘なのかによって、ネガティブに受け取るかポジティブに受け取るかの違いが出てくるのではないかと思っています。

現在では、褒めるのもけなすのも一対一のやり取りだけではなく、各種SNSや、YouTubeのコメント欄や、ヤフーニュースのコメント欄などを通じて、一対多かつ一方通行の「褒める・けなす」が存在します。

そしてその「褒める」時や「けなす」時に、わざわざ比較対象を持ち出すことで、比較される方の擁護や批判も入り交じってきてカオス状態となります。

誰かや何かを非難することに意欲を燃やし、それが生きることのモチベーションになっている人もいるのでしょうけれど、普通はネガティブなことを発信した人の心にもネガティブなものが残ります。他人の不幸は蜜の味と言いますが、それはあくまで自分と比較して差を見いだしているだけです。単純に、良いものを見つけて良いと言える方が心の負担も無くて済みます。

嫌いなものが多い人よりも、好きなものが多い人の方が幸せだと思います。

仕事とかしつけとか、ただ単に褒めるだけでは上手く行かない立場の人もいるでしょう。しかしそういう人こそ「良いもの」を見つけて「良い」と感じる、褒める、ということで心のバランスが取れると思います。

生きづらい人生だと感じているのなら、誰かを非難するよりは、誰かを褒めた方が結局は自分にとっても良い結果になるのではないでしょうか。

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