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洋の東西のコインとマスクと水戸黄門

今さらながらではありますが、西洋古代史に関する本を読んでいて気が付いたことが一つあって、ギリシャやローマ時代の古銭ってたいてい人の顔が描かれています。だいたいはそのコインを作らせた君主の顔です。

逆に日本や中国の古銭は中央に方形の穴が空いているので、当然ながら人の顔なんてありません。東洋では共通文字だった漢字が表意文字であり、少ない文字数で多くの意味を込められることもあってか、漢字四文字を穴の上下左右に配置するだけで多くの情報を載せられます。

穴のあるコインのメリットとしては、単純に金属原料をその分節約できますし、穴に紐や棒を通して持ち運びや計算をしやすくなります。しかも強度はそれほど落ちません。

じゃあなんで穴の無いコインなんて作るのかと思ってウェブで検索すると、どうやら中国などのコインは鋳造で作るので最初から穴を空けて作られるが、西洋のコインは鍛造で作るので穴を空けることは実質不可能、ということらしいです。

へーそうなんや、とは思いましたが、いやそれでも東西の交流はいわゆるシルクロードなり、あるいは船なりで結構昔からありました。中国で作られたコインがローマで使えたわけではないにしても、途中の貿易では中継地点で使われていたはずです。全てが物々交換のみで成り立っていたわけではありません。

情報だって行き来していたはずですが、ヨーロッパや中東で穴あきコインを作ろうとはしなかったんでしょうか? もしかするとコインに君主などの顔が入っていることが重要な社会になっていたのかも知れません。

逆、つまり西洋の君主の顔入りコインの情報も中国社会に届いていたはずですが、コインを作らせた皇帝の肖像が入ったコインもありません。

鋳造と鍛造の違いという技術的理由だけでもない気がしますが、東洋の王権制国家においては君主のご尊顔というのは畏れ多い対象であって、庶民が使うコインに刻むわけにはいかなかったのでしょうか。

人の顔に関する考え方自体がそもそも東洋と西洋では違う気がします。日本人はSNSでもYouTubeでも顔を出さない人の割合が、西洋の人よりは少ないのではないかと思います。Vチューバーやアニメアイコンなんかその分かりやすい例です。

もちろん外国でも顔を出さない人はいると思いますが、自分の顔が公開されることに忌避感は持っていないでしょう。

これが逆に、東アジア諸国ではマスク着用に対してさほど拒否運動が起きていないことと、欧米諸国でマスク義務化に大きな反対が起き続けていることにもつながっていると思います。

水戸黄門の時代劇で
「ここにおわすお方をどなたと心得る! ここにおわすは先の副将軍、水戸光圀公にあらせられるぞ! 頭が高い、控えおろう!」
という有名な台詞は、偉い人の顔を直接見てはいけないというルールを象徴しています。

人の顔を直接見ることが失礼なシチュエーションが存在することを思えば、マスクをしている人の顔が半分見えなくてもコミュニケーションが成り立つ社会であるのは当然かも知れません。

表情が豊かな欧米社会ではマスクで顔を隠す人に対して無意識的に無条件で不安を抱いてしまうというのは分からないでもありません。だからと言ってマスク反対デモを密集して行うのは理解出来ませんが。

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