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御朱印は参拝の本質ではないはず

神社でもらえる御朱印集めが流行していますが、流行が過熱すると問題が出てくるのは世の常です。

御朱印をネットオークションで高値で転売している、という批判がありました。また、御朱印を書いてもらうにあたって、急がせたり暴言を吐いたりする事例もあるそうです。

“過熱する御朱印ブーム”の裏で何が?有名神社が「特別御朱印」の配布を取りやめ
https://www.fnn.jp/posts/00045734HDK
東京・浅草の初夏の風物詩と言えば「三社祭り」だ。
浅草神社では今週末の三社祭で お祭りに合わせた特別御朱印を見送ることを発表した。
御朱印ブームに悩む寺院 「早く書け」27万円で転売も
https://www.asahi.com/articles/ASM5J5TGYM5JUTIL02P.html
 「こっちはお客さんだぞ」。東京都台東区の浅草神社では4月末から、「平成」「令和」という新旧の元号が入った御朱印を数量限定で配布したところ、予想を超える行列ができた。入手できなかった人が神職や巫女(みこ)に罵声を浴びせたという。
 ネットオークションでは5千円を超える値をつけ、「転売も看過できない」と神社は検討。混乱を避けるとして、19日までの三社祭では恒例だった特別な御朱印の配布を取りやめた。

御朱印を集めることにそもそもどんな意味があるのでしょうか?

本来は参拝の証ではありますが、参拝したかどうかを他人にわざわざ自慢する必要も無いはずです。自分が参拝したかどうかは自分の記憶の問題ですし、覚えていられないのであれば参拝前に鳥居でもスマホで撮影しておけば済むことです。

御朱印欲しさで神社に負担をかけるのは参拝客として不適当だし、御朱印やお守りも金銭と引き換えに手に入れるものとはいえ、自らを客呼ばわりして特別な待遇を求めるのも間違っています。

スタンプラリー的に集めているのかもしれませんが、それなら転売された御朱印を買うのも意味が通りません。トラブルを起こしている人は全体の一部かも知れませんが、神社における社務の妨げになるのであれば中止や休止もやむを得ないでしょう。

浅草神社が御朱印の提供を禁止したのは良い判断だと思います。神社はコレクターに御朱印を提供するために存在しているわけではありませんから。本当に、御朱印は何のために存在するのでしょうね。

もう各神社は手間をかけて御朱印を準備するのではなく、入り口の鳥居にでもカゴをかけてその中にフルカラー印刷した御朱印を突っ込んでおいて、参拝客が勝手に持ち帰るようにしてしまったらどうでしょうか。御利益も何もあったものではないかもしれませんが、トラブルや転売の果てに得た御朱印よりはマシでしょう。もしかするとそれを集めてまた転売する人間も出てくるかも知れませんが。そうなったらなったでさらに各神社はホームページで御朱印画像を公開して、利用者は勝手にダウンロードしてプリンターで印刷できるようにしてしまえばいいんじゃないでしょうか。本当に御利益があるのならネット経由で印刷したって御利益があるでしょうし、神社自身が公開していてもネット経由だと御利益が無いのであれば、転売された御朱印や無理矢理書かせた御朱印にだって御利益は無いでしょう。

逆に、参拝客が少なくて来てほしいと思っている神社は、ここぞとばかりに丁寧な御朱印を作成してアピールしてしまえば良いんではないでしょうか。別にどの神社も手間暇かけて御朱印を提供する必要は無いと思いますし、やりたい神社がやって、集めたい人がそこに行く、そこでもトラブルが起きて割に合わないと思ったら御朱印文化そのものが消え去るでしょうから、ブームもコレクターも存在しなくなります。一時的に貴重な御朱印が高値で転売されるかも知れませんが、もうそれは神社側にしても知ったこっちゃないでしょう。

いっそのこと、神社本庁あたりから、
「オークションサイトで偽物の御朱印が出回っています」
とでも公式リリースを出してしまえば、本物の御朱印含めて値段が暴落して転売行為が成り立たなくなるんじゃないでしょうか。

ちなみに、神社の御利益というのは本人が行かないと得られないというわけではありません。昔から例えばお百度参りのように、怪我や病気で苦しんでいる人の代わりに親しい家族や友人が行うお参りの仕方もあります。

八十八箇所巡りの「お接待」もそうですよね。

http://www.88shikokuhenro.jp/questions/#i-15
問:お接待とは何でしょうか?
答:四国では四国霊場を巡礼するお遍路さんを敬い、助けることで自身がお遍路をしていなくても、そのお遍路さんと同じ功徳がいただけると言い伝えられてきました。
お遍路さんはそういった接待をいただくことに感謝を感じ「お接待をうける」という様に「御」をつけることで敬意を表すようになったとされます。
また、お接待を受けたお遍路さんは御礼として自身の納札を手渡す古来よりの風習もあります。

また、江戸時代の一時期にはイヌが代わりにお伊勢参りをしていたそうです。

犬の伊勢参り (平凡社新書)
https://www.amazon.co.jp/dp/B00EUVZHXU/
明和八年四月、犬が突如、単独で伊勢参りを始めた。以来、約百年にわたって、伊勢参りする犬の目撃談が数多く残されている。
犬はなぜ伊勢参りを始めたのか。どのようにしてお参りし、国元へ帰ったのか?
そしてなぜ明治になって、伊勢にむかうことをやめたのか?
事実は小説より奇なり! ヒトとイヌの不思議な物語の謎を探る。

神社への参拝、お参りは敬意は必要ですが無茶苦茶儀礼的に凝り固まっているものでもありません。大切なのはお参りする人間の心であり、真摯に行うことが重要なのですから、御朱印を手に入れたかどうかは参拝の本質ではないでしょう。あくまでオマケ的なものであり、トラブルが起きるくらいなら神社は止めてしまうでしょうし、それは当然のことだと思います。真剣にお参りしてくる他の人に迷惑がかかるくらいなら御朱印は無くなったとしても問題ないはずです。

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