夏だけが覚えているあの日の記憶について

何かを思い出させるような夏の匂いが嫌いだ。夜、ベランダに出ると赤ん坊のなき声が聴こえる。これが、打ち上げ花火の音だとか、蝉の鳴き声でなくてよかった、と少し安堵する。

私は夏を、少女のようだと思う。他の季節の何よりも、私の想う少女がいるのはいつも夏だ。その少女は半袖で、いつも少しだけ寂しい目をしていて、それでも笑う、たくさんたくさん笑う。頭のなかにはどこか遠くの景色があって、この成長途中の女の子は、その魅力でいつか誰かの人生を狂わす、のだと思わせる、きっと本人は無自覚のうちに。

電車に揺られて本を読んでいた。コンビニとはまた違った質のつめたい空気。読書に集中していたことで気が付かない、駅に向かってゆるやかになるスピード。蒸気の漏れるような音をたてて止まり安定する空間に外の重苦しい熱気が流れ込む。

夏はわたしを殺そうとする、夏はわたしを狂わす。
春が「死にたい季節」ならば夏は私にとって、「いのちがけの季節」だ。
わたしの脳裏からすっかりいなくなってしまった“あの日”の記憶を、夏だけが覚えている。それをわたしに思い出してもらおうと、あの手この手で私に干渉してくる。花火、風鈴、向日葵、陽射し、蝉のぬけがら、半袖のセーラー服、すいか、タオルを肩にかける髪の濡れた女の子、そして、夏夜の匂い。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?