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卒業制作日誌 (17)

ここしばらく、制作がうまくいかないのが当たり前になっているし、制作以外でも何かと悩むことが多くなった。授業後の面談で「なんかアドバイスください!」と先生に助けを求めるのも、もはや恒例行事になってしまっている。「あなた、いつもそれじゃん…」とあきれつつも、私のしょうもない話を最後まで聞いてくれる先生。

最近、どうしても誰かに叱られたかった。こういうことは自分でなんとかしなきゃな、と思いつつも、背筋を伸ばせない。やるべきこともできてないし、先が見えない。家族に打ち明けても、友達に相談しても、結局、このままではダメだよなとぼんやりと考えていた。それに、心のどこかで、誰かに寄りかかっていたいような寂しさがあって、それを人に甘えることで解消してしまいたい気持ちもあった。

面談をしているあいだ、一度も「でも、そのままのあなたでいいんですよ」みたいな生優しい言葉はかけられなかった。私の、臆病でわがままで、子供っぽくて、先延ばし癖があって、甘えん坊なところを、変に遠回しな言い方をすることなく、でも人格を傷つけることは全くせず、きちんと教えてもらえた。それがものすごく嬉しかった。尊重されている、と感じた。

私の場合、「諦める」ことが今後のカギになるらしい。「もういいや」と放り出すのではなく、執着を手放す。なんでもかんでも、今までと同じというわけにはいかない。友達も家族も、お互いの考えを変えずにずっと一緒にいられるわけではない。

悩むことは簡単だけど、生産性がないこと。逆に、失敗は自分にとっては痛いけれど、必ず何かが残ること。悩み癖に逃げがちな私には、先生の言葉のひとつひとつが効いた。立ち上がって自ら進まないと、大人にはなれない…


面談が終わって外に出て、今までに味わったことのない感情が押し寄せてきた。悲しくはないけれど、心が、擦り傷を作ったようにヒリヒリする。言葉をたくさんかけてもらって、すごく温かい気持ちなのに、どこか寂しい。

ふいに、きっとこれが最後なんだ、という考えが頭に浮かんだ。これから先、こんなふうに優しく叱ってもらえることは、たぶん二度とない。現に親はもう、自分をほとんど叱らなくなっている。叱られたい、と思うのもまた、褒められたいのと同じで、甘えであることに変わりはない。私は大人になったし、大人にならなきゃいけない。自分の力で立つんだ、わがままを言う暇なんかない。ひょっとしたら私は、人と比べて、これに気付くのは遅すぎるくらいなのかもしれない…

これが大人になる痛みなのか。自分以外のものは次々に変わっていってしまうし、自分自身も変わっていく。「大人になったほうが楽になっていく」なんて言ったの、誰だよ…

少し涙ぐみながら、鼻を啜って帰路についた。早く一人で泣けるところに帰りたかった。今日の夕日は綺麗すぎたから、また同じような夕日を見たら、今日のことを思い出してしまうのかもしれない。家に帰って、こうして文章にして残している間もなんとなくため息が出てくる。

大人にならなくては。いろいろなことを、本当にいろいろなことをあきらめて、手放しつつ。

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