書評コラム 『白の服飾史』~真っ白コーデを着る女~
「見てよ彼女の服!まるで半裸じゃないの!」
18世紀末のフランス。のちに革命で斬首されることになるが間違いなく庶民のファッションリーダーだった王妃マリー・アントワネットは、モスリン(木綿)でできた純白のサンドレス姿で堂々と肖像画に収まった。カラフルで高級感のある生地をたっぷり使ったローブ・ア・ラ・フランセーズが流行だった当時、いや彼女こそがこうしたモードを引っ張ってきたというのに、今度は一転「自然回帰ってスバラシイわ!」などと言って、庭いじりの真似事や農村ごっこに興じるようになった。そしてついに、このいで立ちと来た。
「え、こんな質素なっていうか・・・下着みたいだけど。これどうなん?」「でも妖精みたいにも見えるしな」「スケスケじゃね?」「いや絶妙に透けてないんだ」「重たくて高級感のあるドレスもいいけど、シンプルなゆるふわ系も確かにいい」「いや、むしろ素朴でかわいい!」「私も着たい!!」
結局、この身体に吸い付くようなモスリンのドレス、今こそギリシャ的自然美に帰ろうよ的白ドレスは爆発的に流行した。ナポレオンの妻ジョゼフィーヌはセーラームーンみたいなシンプルなエンパイアドレスを着ていたし、コテコテのお洒落男子モーツァルトの妻コンスタンツェだって、夫と29歳で死別してのち41歳で描かせた肖像画には、絵師の前にこうした白ドレスで臨んだわけで。
ちなみにこの格好、劇的に薄着だ。だから寒いのを無理して着続けて風邪をこじらせ肺炎になった・・・そんなうら若き乙女が続出したそうだ。お洒落は我慢。当時も今も譲れない。
先日、ニーナ・エドワーズ著『白の服飾史 ~人はなぜ白を斬るのか~』を読んだ。以前『黒の服飾史 ~人はなぜ黒を着るのか~』(徳井淑子 著)を読んで感銘を受けたので、平等に白だって読まねばなるまい。
( ↓↓ 以前書いた『黒』こちらもcheck ↓↓ )
『黒の服飾史』では、黒服における白の活躍に少しだけ触れている。黒を引き立てるために白を効果的に使っていたと。漆黒に染め上げられた袖ぐりからはみ出た白いカフス、蛇腹に折られた円形のつけ襟…白は黒の豪華さの一旦を担うもの、優秀な「助演」として機能していたのだ。
『白の服飾史』では当たり前だが主役は白だ。そして話のほとんどが「真っ白コーデ」の場合。私自身は「真っ白コーデ」はさほど惹かれない。そもそも元ゴスロリだから白いブラウスはマストだし、白は素材の違いで様々な陰影ができて面白い。でもそれは隣に色があるからいいのであって、真っ白だけって何かちょっと不気味に思う時ないですか?
たしかに白には圧倒的な清潔さ、素朴さ、純真さ、天真爛漫さ、子供らしさなど、黒にはない魅力がある。さきほどのマリー・アントワネットだって「下着か寝間着じゃん!」という声に負けないほど白ドレスが彼女にめちゃくちゃ似合ってて可愛かったから流行したのだ。ただ、彼女がもしこの格好で予告もなく、寝静まった宮殿をひとりで歩いていたら?おそらく「ギャー!オバケ!」と言われるだろう。本書はそんな白の持つ「怖い部分」にも積極的に光を当ててくれているから面白いのだ。そこから普段あまり気には留めない白の奥深さや黒との相違点・共通点などが見えてくる。
話を戻すと、白づくめの格好は「気がふれた女」「幽霊」をどこか彷彿とさせる。『ハムレット』のオフィーリアしかり、バレエ『ジゼル』の精霊ウィリーしかり、映画『エクソシスト』の女の子も。ハロウィーンでは白いシーツを被っただけでオバQだと分かる(はず)。白は闇に発光する。そして膨張色だからうすら大きく見える。黒は闇に紛れて闇に同化するけれど、白はぼぅっと浮き上がる。怖い。同化しなさがすごく怖い。
とはいえ。やはり白の意味づけで一番先にくるのは「イマココ(出発点)」から始める時に着る色だ。スタート・リスタート・ゼロベース・ゼロポイントに立った時に着る色、それが白だ。白には時間の経過が含まれている。白いTシャツはそのうち黄ばんでくるし、花嫁は明日になればドレスでチヤホヤされたことなんか忘れられる。白に過去はなく(ないことにされる時もあるが)未来しかない。しかしその希望の中に「結局ものごとは移ろいゆくのだ」という残酷な世の理(ことわり)が含まれている。つまり白は諸行無常なのだ。そこいくと、黒はどっしりとした安定感があり成熟しきった色ではあるが、これ以上いかない「完了」を表す。白のように成長とか伸びしろはない。だから結婚とは女性にとっては始まりでも男性にとっては終わりでしかない、と昔の人は考えていたのかもしれない。(今は男性も白いタキシードを着る)
白と黒。両者には共通点もある。それは有彩色が持ち合わせていない——「死」を意味するということだ。やはり黒は完了(喪服)を表し、白は旅立ち(生者という形態からメタモルフォーゼした者=死者)を表す。黒はもともと異形の者「悪魔の色」を表わし、ここぞという時に「強さ」を装う。一方で白は「幽霊の色」ではあるが、己の無力さや「弱さ」を受け入れている時の装いといえなくもない。白はもともと生者の色だからだ。そんなことを考えているうちに、白って妙に人間らしい色なんじゃないかと思えてきた。
黒が敢えて強さをアピールして自分を守るのとは違う実利的な方法で、白は自分を守る。それはひらひらした薄手の生地の揺らめきの中にはない。厚手の白地で身体を覆う時がそうだ。新型コロナが大流行した頃、私たちは医療関係者の着ている白い防護服を日常的に見ていた。空気のない宇宙空間では、宇宙飛行士は白い宇宙服で身体を覆う。私たちは触れたら危険な外界に触れる時、弱い自分を守るために白で身体を覆うのだ。(もちろん、防護服とか宇宙服とかそんな例は本書の例えには載ってない)
そういえば、街でたまに見かける白いマーメイドスカードに白ケープや白ニット、去年あたりから流行り出した白いレザーのブーツまで履いて、全身厚手の白でがっちりまとめた港区女子というか量産型女子というか。実は私はあれが怖い。うまく言語化できないけど、やはりどこか防護服めいているからだ。それとも「庇護欲」を掻き立てる色を着ていながら、服の中に隠した「一番になりたい」「私を選んでほしい」という野心や承認欲求を、どうしても感じ取ってしまうから…なのかもしれない。
(終わり)
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