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「本当は怖い民話」から人事を考える 第2回 姥捨て山と定年制度(後編)

最終更新日:2024年5月23日

第2回で書いた姥捨て山の話と人事制度のつながりに関して、続きを書いていきます。

まだ前編を見ていないのであれば、ぜひこちらからご覧ください。
本記事の面白みがより増すと思います。


では、早速本編に入るのですが、
実は、定年制度とは、姥捨て山とはまったく異なる目的で作られた仕組みです。


それが、姥捨ての因習を生み出した村がそうであったように、日本を取り巻く環境が、定年制度に姥捨て山のような印象を与えているのです


歴史的に見ると、定年制度とは、恩給制度と一体のものでした。

定年とは特典だったのです

一定年数勤続することで、恩給=年金や退職金をもらえるようになる仕組みのことを指していました。転職する人も多かった時代に、一定期間以上働いてもらうための報償の仕組みでもありました。最近流行りの人事用語でいえば、ロングタームインセンティブの一種です。


そんな仕組みをすべての企業が導入できるわけもないので、大企業や官公庁を中心に導入されていきました。後に中小企業にも広がりましたが、いまなお、定年の仕組みは大企業ほど整備され、中小企業では整備されていないこともあります。


そもそもの定年の仕組みとはどういうものなのでしょうか。

一番基本的な定年の設計は退職金とセットでした。恩給なんだからもちろんそうです。

定年後10年は生活できる退職金を支払う、平均寿命はそれからプラス5年程度。

おおむね65歳が寿命だった時代に定年の仕組みはつくられはじめました。


定年が雇用調整の機能を持ち始めた最大の理由は、実は平均寿命が伸びたことにあります。


平均寿命が伸びたので、定年を伸ばしてほしいという要望が強くなりました。そして50歳定年が55歳になり60歳になり、今や65歳が定年です。

現在の平均寿命は83歳だから、理屈として言えば68歳が定年であってもおかしくはありません。


また生活様式の変化も大きいです。

特に、団塊の世代と言われる人たちは、体も気持ちも若々しく、その分だけ娯楽を含めた生活費用がかかります。


家族構成の変化も重要です。

かつては多くの老人たちが、子どもからの仕送りによって生活していました。

今では、子どもからの仕送りで生活している親よりも、逆に子どもを援助している老親が増えています。


では、68歳まで人はばりばりと働けるのかというと、どうでしょう。

人間の能力は年齢にあわせて3つの山を作ると言われています。


第1の山は25才が頂点であり、この山は運動能力をあらわしていいます。

第2の山は35才が頂点であり、この山は学習能力をあらわしています。

第3の山は45才が頂点であり、この山は経験活用能力をあらわしています。


そして50歳で引退する、それがもともとの定年制でした。

定年しても、能力のある人は別の職に就くことも普通でした。

「年齢を増したとしても、給与に見合った働きぶりができていれば、会社としては手放したくない、むしろ知識や経験があるので、働いてほしい」

そう思える人であることが定年の前提にあります。

定年とは、働いていてほしい年齢上限の平均値でもあるのです。


寿命が伸びたことと、それに伴い個人の能力差が開いてきたことを踏まえ、定年は廃止すべきだという考え方も強くなりつつあります。

しかしそれは、終身雇用の否定にもなるのです。

会社に求められる人である限り、何歳まででも雇用する、ということが定年の廃止です。

一方で、求められない人であれば、60才や65才を待たずに辞めてもらわないといけません。


定年を廃止する企業では、終身雇用を維持する意味がなくなってしまいます。


また、定年を廃止すると、成長する個人、結果を出せる個人、スキルのある個人を会社にひきとめるための別の方策が必要になります。
早い昇格や多額の賞与だけでなく、5年や10年刻みでの引き留め策を導入する必要も出てくるでしょう。それは処遇の格差が広がっていくということでもあります。

人事の仕組みのこれからはどうなるのでしょうか。

法律で定められた定年は、今後70才にまで延長される可能性も高いです。

そうなれば、雇用は補償されるけれども、できる仕事に見合った分の給与しか受け取ることができなくなります。


会社と言う終身雇用の村の中にいる限り、人生の中で35歳の時が一番年収が高かった、という時代がもう目の前に来ているのです。


また、定年ではない形での退職勧奨が増えると考えられます。

一律の年齢ではなく、能力や経験や貢献度に応じた退職を増やさなければ、会社は存続できなくなるからです。


だから僕たちは、定年を意識しない働き方をしていくべきなのです


医学の発展、教育の発展、ノウハウの普遍化などの環境変化を十分に生かせば、能力の山の頂点年齢を後倒しにしていくことができます

何歳になっても成長し続けることが容易になっているのです。



姥捨て山は小さな村の因習でした。

環境変化に立ち向かうための力がない時代の話でした。

でも僕たちの周りには知識やノウハウがふんだんに提供されています。

そして、因習の村から外に目を向けていくべきなのです。

セレクションアンドバリエーション株式会社
代表取締役 平康慶浩(ひらやすよしひろ)



参考文献

東京大学大学院 佐口和郎教授の論文
「定年制度とは何か-退職過程の制度・歴史分析」(1999年6月)




平康慶浩(ひらやすよしひろ)