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間違っているのか,揺らいでいるのか,変わったのか,言葉の問題は面倒だ

954のラジオ,Radikoで聴いていたら,
「この時間は地上波に限定してお届けしています。そのためRadikoのサービスは行っておりません。ご不自由をおかけ致しますが,ご了承下さい。」というアナウンス。
ご不自由をおかけし」というフレーズを,私,初めて耳にしました。「ご不便をおかけし」の現代的発展形か?
いや,というかそもそも「Radikoのサービスは行っておりません。ご了承下さい」で良いのではないか?

1242のPodcastを聴いていると,「みなさま,今日もご愛聴頂き,ありがとうございます。」という一言。
「愛聴」は,聴く側がある番組を好きで,定期的,継続的に聴いている状態を指す言葉ではないのか?
「あの番組を愛聴している」は「あの番組をいつも聴いている」であって,「今日愛聴する」ものではないと思うのだが・・・。

といっても,別に僕は合っているとか間違っているとかを言いたいわけではないのです。なぜならば,言葉は揺らぎ,そして変わっていくものだから。僕は言葉にリベラルでいたいと思っているし,言葉ができたり,廃れたり,揺れたり変わったりするのも,別に構わないと思っているし,そういうものだと思っている。
在京のキー局がこう言っているのだから,多分このように言葉が変わってきているのだろう。または,そもそも私の認識が間違っていたか,だ。
言葉の問題は,実はこれが一番厄介な所で,合っていると思っていても,間違っていたり,変わっていたりで,本当に正しい言葉って,実は誰にもわからなかったりする。リンゴはリンゴだけれども,別に「リンゴ」そのものに意味があるのではなく,「リンゴ」という3文字に我々が意味を持たせているだけ。500年後には,リンゴはブドウになって,ブドウがカマボコになっているかもしれない・・・訳はない気がするけれど,でも何が言いたいかというと,言葉って,結局は人々の認識が優先されるもの。今の時代では,憮然とする,は,色を失うではなく,ふくれる,なのだ。なぜなら,多くの人がそちらの意味で認識しているから。

多くの人がそう思った時点で,それがその時点での正しい意味になるのが言葉で,同時に,そうならないとマズイのだ。でも,今日こういう意味になったとしても,ひょっとすると来年また別の意味に,または元の意味に戻るかもしれない。だって言葉って,そんなもんだから。そう,言葉なんてそんなもんなんだ。食と言葉に保守的になると,人生終わりだと思ってる。

言葉は揺らぐのだ。
「言葉は揺らぐ」。良いフレーズだ。こころなしか,平安の香りがしませんか?

ところで先の「この番組は地上波限定です」ですが,都知事選の政見放送だって。おいおい,むしろRadikoでもなんでも,皆に聴かせないといけないんじゃないのか,それは・・・。

2024年7月3日記

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