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桐野夏生 『路上のX』 <泥沼と秋鯖 #1>

女子高生だった頃、どうやって生きていた?

そう聞かれたなら、私は「特筆することもなく、適度に社会の縮図に揉まれ、受験勉強に焦ってみたりしながら、呑気に過ごしたつまらなく凡庸な女子高生生活だったよ。」と答える。
きっと多くの人が、私のように、思い出やJKブランドの優越感、あの時期特有の青春や劣等感なんかを思い出して、<最高>から<最低>までの多様な評価を下すだろう。それが酷く幸せなこととは知らずに。

じゃあ一体それ以外にどんな答えがあり得るのだ、と聞かれたら、今回の本を是非おすすめしたい。
平凡な女子高生だった子が送り始めた地獄の生活を覗き込める今回の<泥沼>が、桐野夏生の描く『路上のX』だ。
以下に短いあらすじのような作品内容紹介を添えておく。

幸せな日常を断ち切られ、親に棄てられた女子高生たち。ネグレクト、虐待、DV、レイプ、JKビジネス。かけがえのない魂を傷めながらも、三人の少女は酷薄な大人たちの世界をしなやかに踏み越えていく。
                                                                 ________「BOOK」データベースより

話は少し逸れるが、個人的にこのあらすじがストンと落ちない。
「しなやかに踏み越えていく」というワンフレーズが、全てを美化させようと、昇華させようとしていて、好きではないのだ。
登場する三人の少女たちの足取りは決して「しなやか」ではなく、足枷をつけたままでぼろぼろで部分的に壊死していて今にも足首からポロリと取れてしまいそうなくらいに疲弊しきっている……決死のものなのではないか。そう思う。

さて、そんな本編について触れていく。
主人公の真由は、親の身勝手で突然親戚の家に預けられる。そこでは邪険に扱われ、学校もつまらない。真由は意を決してその生活から脱出する。
しかし、バイト先でのとある事件。これが真由の生活を狂わせる大きなトリガーだった。そう。親切な顔をした人が親切とは限らない。
渋谷で放浪していた真由が出会うリオナという少女は、達観した少女だった。性的な搾取に大人からの需要があることをわかっていて、そうしてうまく男性たちを利用して食い繋いでいる。
彼女たちはそれぞれに問題や葛藤を抱えながら、もう一人の家出少女・ミトも加えて共同生活を送り始める……。
作品に登場する少女たちはもちろん思春期特有の自分勝手さを備えているのだが、それよりも目につくのが大人たちの身勝手さである。
大人の都合・大人のエゴに、なす術なく巻き込まれてしまう女子高生たちは、傷だらけになりながらもがく。

ここまで書いたはいいものの、ここから言及するのがかなり難しい。
こういった生活は--もっと酷い生活さえ--この世に存在する「現実」なのである。それは肝に銘じなければならないし、大きな問題提起をしている作品だと捉えることができる。
しかし、かといって「安易に」ご支援賜りたいだとか、手を差し伸べなければというヘンな正義感を抱くのも身勝手だと思うのだ。作品自体がそう思わせる部分も大きいだろう。
ここに、問題提起を主題とする作品世界の捉え方…とかいう作品論とテクスト論の狭間のような難しさが生じるのだが…。筆者はあいにくその世界を堂々と公開設定で語れるほど詳しくはないので今回は断念する。
まぁ、何が言いたいかというと、作品世界と現実世界がぐちゃぐちゃになるくらいに面白く引き込まれる作品だったのだ。


女性でも男性でもなんでもなくとも、ぜひ一度、読んでみてほしい。
大人に振り回されながら必死にもがく女子高生たちの、泥沼に生きる様を、痛烈に感じてくれ。

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