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自立するってどういうこと?

こんにちは。
用事が無くなり自宅で携帯を触っていても、同じ話題が何度も目に飛び込む。
そんな中だと思いますので、ここではいつも通りに普段考えていることを記事にしたいと思います。
今回は自立についての考えです。

急に自立と言われましても
今まで聞いてきた中に多いのは、「大学生になったら自分達でメニューを考えるなど、自立心を高めていく」といった方向性の話。
そしてその次に多いのが「自立を求められて高校時代までとのギャップに苦しんだ」というものです。

極端な話、それまで「勝手なことをするな」と怒られていたのに、今度は「自分の頭で考えろ」と言われてしまうのは何だか気の毒な話です。
急に自立しろと言われてもどうしていいかわからないでしょう。
ですが自立とは何かを自分の中に定義し、考える順番さえ知っていけば、大きな混乱はしなくて済みます。

この春に大学生になる選手の中には、自立を急に求められて戸惑う人もいると思います。
社会人として走り出す選手の中には、学生時代には考えたこともなかったようなことについて、これから深く考えていくことになる人もいるでしょう。

「自立=メニューを全て自分で考える」では無い
私自身、メニューを自分で考えることが自立であり、そして自立した選手になりたいと思っていた時期がありました。
ですがメニューを選手自身が考えるのは、「自立」では無く「セルフコーチング」という別物です。
同じことを繰り返すようですが、メニューを自分で考えなくても自立した選手にはなれるし、メニューを自分で考えることは選手の仕事としてはマストではありません。
そのことについて触れていきます。

1年間通った大学を離れるとき、私の頭の中は「自立したい」という思いで占領されており、その時に大学の部活動を離れるだけでなく、家の世話を今まで全てやっていてくれた母親の元からも離れることを選びました。
全部自分でやった上で結果を出して認められたい、という思いからきた行動です。

しかしその先には、何一つ自分で決められない自分自身との出会いが待っていました。
今まであった階段を一段ずつ登っていくような楽しさは無くなり、過去の成績にしがみつくプライドと、常に答えの出ない不安だけが残りました。
この頃からコーチや環境や練習方法を何度も変えるという長いトンネルの中に入り、一度は競技を離れましたが、また戻ってきたときに自立と選手の仕事について気づいたことがあったのです。

コーチに何を求めるか
休止していた競技に戻ることを決めた昨年の10月ごろ、私の事情や性格をよく知る数人に「コーチを探している」と相談を持ちかけました。
この期間に、「そもそもコーチはなぜ必要なのか?」「どのようなコーチを必要としているのか?」についてより深く考えました。

私の場合、
①競技に集中するため」にコーチは必要で、
②何でも意見交換ができて
③コーチングができる」人物を必要としていることがわかりました。
この3つについて掘り下げたいと思います。

①競技に集中するため
セルフコーチングで結果を残してきた選手は実在しますが、メニューを考えることは、選手にとってストレスの大きいことです。
ただでさえ結果へのプレッシャーに晒され、怪我をしないように強度の高い練習をしている中、自分で勉強して考えたトレーニングの結果が自分の競技成績になるというプレッシャーまでは、とても背負い切ることが出来ません。
また自分でメニューを考えると、練習中に「これは正しいのかどうか」と雑念が入り、練習への集中を欠くことになります。
メニューを考えるのはコーチの仕事だと割り切り、そこを安心して任せられるかどうかにポイントを置きました。

②何でも意見交換ができる
私が周囲(コーチ、家族、会社、友人等)に求めるものを書き出していく作業をしていた時、「何でも話せる」というのが一つのキーワードになることが分かりました。
私は嘘をつくのが苦手で、納得のいかないことは頑張れない性格ですが、逆にいうと納得して取り組めば大きな力を発揮します。
選手の意見を柔軟に聞くことができるコーチと日々意見交換ができれば、納得してトレーニングに取り組むことが可能になると考えました。

③コーチングができる
コーチに何を求めるか考えていた時に「かつて選手だったかどうかは問わないので、コーチングの経験がある人が良い」と思った所から、自分の求める「コーチング」について深めていきました。
選手への指導に携わる人物を以下の3つに分けて考えました。

 1、プレイヤー
 2、研究員
 3、コーチ

1、プレイヤー
現在の日本の部活動において多いのは、競技経験のない教師が部活動の顧問になるパターンと、プレイヤーの延長上として教える立場になったパターンです。
プレイヤーとしての側面が強いまま教える立場になると、自分が選手として練習してきたことをそのままやらせたり、感覚の言語化に偏りが生まれることがあります。
また、このパターンの人は選手としてのプライドが残っている事も多いと感じます。

2、研究員
これは大学や研究機関でバイオメカニクス等について研究をされてきた方が、選手に知識を提供するパターンのものです。
選手が自立を求められて陥りやすいのが、やみくもに知識を増やしすぎて自分の動きを見失うことです。
また、成績の良い選手は身体能力の高さに裏付けが出来ますが、成績の低い選手はそれを可視化されてしまった上に、分析しただけで解決策は分からないといった状況に陥ることも少なくありません。

3、コーチ
私が思うにコーチングとは「ある狙いの動きを、選手が自然に出来るように仕向ける」ことです。

私が幸運だったのは「これがコーチングだ」と思えるものを知っていたことです。
昨年2月にベルリンで合宿をした際に、スイスのナショナルコーチであるラルフ・ムッチバハニコーチの指導を受けることができました。
膝高くらいのハードルを歩きながら跨ぐような簡単なドリルから始まり、徐々に動きを変化させていき、50分後に私はインターバル不確定の複雑なハードリングを気持ちよく走りながら行っていました。
自然に体が動くので驚き、練習後にビデオを見て二度と驚きました。
今までの自分とは思えないほど綺麗にハードルの上を駆け抜けて、まるで魔法にかかったようだったのです。

ラルフコーチは私に一切欠点を指摘せず、私に出来ることだけを指示しました。
何をすれば良いかがハッキリしていて、自分の出来ることに集中している時、選手は自信に満ちた動きが出来るのだな、とその時感じました。
そんな練習を積み重ねた先に試合が来るのだとしたら、海外の選手が強いのも頷ける話です。

プレイヤーからのアドバイスも、バイメカ的視点からの意見にも、当然ながら役立つ場面は多くあります。
しかしながら本来コーチの仕事は、過去の自分と目の前の選手を比較する事ではなく、豊富な知識を選手に披露することでもありません。
アドバイスをされた時、すべて間に受けて混乱しないよう「今のは3つのうちどれに当たるだろう」と整理して受け取るのも選手として必要なスキルだと考えます。

コーチングについて説明するために長くなりましたが、こうして自分がコーチに何を要求するのかについてはおおよそまとまっていきました。

選手の仕事
話を「自立」に戻したいと思います。
メニューを考え、狙いの動きをさせる事がコーチの仕事なら、選手の仕事は何でしょう。
コーチに何を任せるかを決めていく中で、自分のやるべき仕事の種類が減っていった時に、一体何が残るでしょう。

選手は自分の筋肉や関節がどう稼働しているのかを、全て知る必要はありません。
選手の仕事は自分の欠点を見つけて、現実を直視することではありません。

選手の仕事は「なりたい姿を描くこと」と「自分を信じること」。
ここに来て急に曖昧な話に見えますが、私はこれらがイコール自立だと考えています。

逆にこの2つができていない選手を想像してみてください。
なりたい姿を描けないまま監督の要求通りに結果を出し続けなければならなかったり、競技成績次第で簡単に自信を失ったり、引退した後何も残っていないような姿です。

どうなりたいかを自分で決め、自分に出来ることだけを信じて地道にやり続けるのが選手の仕事です。
自分でメニューを考えることとイコールでは無い、というのがここまでで伝われば良いなと思います。

考える順序
DMを解放していたり、色んな選手と話をしていると
「自分で考えなければいけないけど、どうしていいか分からない」という相談を受けることがたまにあります。 そこでよくこんな話を例にあげます。

例えば、目標を達成するにはどうすれば良いかを考えた時に、1つの要素として「怪我をしない」というものを設定したとします。
確かに怪我をしなければ目標を達成する確率は上がります。
それなのに怪我をしてしまうのは何故でしょう。
答えは簡単で、「怪我をしないための行動をしなかったから」です。

「怪我が無い」というのは要素の一つに見えて実は結果レベルの話であって、行動レベルの話ではありません。
行動レベルとは、「トラックを横切る時に必ず左右を見よう」とか「1日5分タオルギャザーをやろう」とかそういうものです。
自分が今までどんな怪我をしてきたのかを思い出し、どうすれば防げるのかを1つずつ考えていけば、意外なほど行動レベルの目標は生まれてきます。
それらを実行して初めて、試合後シーズン後の振り返りが意味を成してくるでしょう。

こうして順を追って質問して、答えられない選手はあまりいません。
もし部活動でミーティングなどをするのであれば、話し合って行動レベルにまで落とし込んで、皆んなと実行していって欲しいなと思います。

「見返したい」の罠
そして環境が変わってもう一つ陥りやすいのが「恥」の感情で頑張ろうとすることです。
環境やホルモンバランスの変化で体型が変わったり、高校時代などから競技成績が落ちてしまうと、叱られたり周りの目を気にして「恥ずかしい」という気持ちで心が占領されることがあります。

その瞬間もっと頑張ろうと奮起しますが、実はこの瞬間に生まれた目標というのは
恥ずかしくない状態になりたい」という目標の裏返しであることが多いのです。
達成した時の事を考えてもあまりわくわく出来ない時や「早く達成しなくちゃ」と焦っている時は大体これです。
これは非常に曖昧な目標で、その曖昧さゆえに達成しづらく、さらに挫折を呼ぶ結果となってしまいます。

自分がなりたい姿を描くこと。
心からわくわくできる目標を目指すこと。
またふわふわな表現ですが、やっぱりこれに尽きるのです。

最後に
いつもながら長くなってしまいましたが、ここまで読んで下さりありがとうございました。

このnoteを書いたのは、アメリカにいる高校2年生からのメッセージがきっかけでした。
「日本で小学校から陸上を続けてきた中で、厳しすぎるルールやハラスメントで悩み苦しんでいた頃、石塚さんのnoteを読んで勇気をもらい、昨年アメリカ留学を決意した」という内容で、
メッセージの最後には「私も自分の心を捨てずに大切にしてtrackを楽しんでいきたいです」と結んでありました。

こうして人の心が動いたことに深く感動しましたし、
その子には結びの言葉通りに、そして自立した選手になっていって欲しいなと思います。

皆さんのなりたい姿はどんな姿でしょうか?
また良ければ教えてください。

それでは。

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