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引き出しから取り出した、物語の続きを


幼い頃の記憶なんてたいして残っていない、あてにならない。そう思っていたけれど、意外と体に染みついているみたいだった。まるで何回こすっても落ちない、洋服に付いた染みのように、私の頭の中にいつまでもぼんやりと輪郭が残る。ふとしたきっかけで、輪郭から細部までうっすらと、まるで漫画の空想シーンの吹き出しのようにふわふわと蘇る。


人には消したい記憶、残したい記憶、そのどちらでもない記憶があると思う。どれも引き出しの中にきれいに並べられていて、普段は使わない奥底に眠っている物語たち。そんな物語を記憶の本棚から取り出して、ページをめくるような感覚を、つい最近味わった。




舞台は北海道の函館。先日までワーケーションのために、10日間程暮らしていた。「どうして函館を選んだの?」出会う人みんなに聞かれたんじゃないかってくらい、不思議に映ったのだろう。

そんな私の答えは、直感が呼んでいるような気がして、なんとなく。理由なんていくらでも後付けできるからそれっぽく答えてはみたけれど、住んでいる人たちからしたらやっぱり珍しいみたいだ。
 

函館に訪れるのは3回目。
1回目は父親と小学生のときに、寝台特急・北斗星で。2回目は母親と6、7年前くらいに、まだ北海道新幹線が通る前だった。

久しぶりに駅に降り立ったはずなのに、着いた瞬間からぶわ〜っと降り注ぐ思い出たち。



駅の外に出てみれば、懐かしい風景。知らない街だったら、初日は土地勘を得るためにふらっと歩き回ることが多いけれど、その必要もないくらい、体が覚えているようだった。


もちろんなかったはずの建物が増えていたり、新しくなっていたりと違うところもあるけれど、街並みはそう大きくは変わらない。

なんだか不思議な気持ちだ。暮らしたことがあったわけでもないのに、遠く離れた北の大地にそう思える場所があるなんて。



今回は旅行ではないからお休みの日はお出かけ、他の日はずっと滞在先のゲストハウスでお仕事していた。半分以上の時間をのびのびと過ごさせてもらった。

PCとWiFiと電源コードさえあればお仕事ができる私にとっては、すごく居心地のよい環境だった。そして、お気に入りの席は道路沿いに面した広い窓のある席。日中は日当たりがよくて、とっても暖かく手元を照らす。定期的に行き交う市電の通過する音がうるさいくらいに聞こえてくるし、行き交う人の様子もよく見える。

カフェもバルもやっているゲストハウスではスタッフの他にお客さんが出たり入ったりする場所。

目の前に誰かがいる。そうやって人の存在を感じられるだけで私はなんだか元気が出るみたいだ。

過ごす時間が長ければ長いほど、その街や人のことを知るから、全身で空気を感じるから、ますます深く、記憶が私の体に刻まれる。

私にとって函館での物語は父、母それぞれと旅をした記憶で止まっていたけれど、今回新しくページが追加された。それも複数ページ。初めての場所、出会った人たち、食べたもの、見た景色、そして揺れ動いた感情たち、過ごした思い出の全てが愛おしい。

過去に訪れたことがあっても覚えていないことも多かったけれど、時代の進化により記憶を残すことが以前より容易になった。写真や地図は最たるもの。素敵な時代に生きているなって思う。


例えばこんな風にふらっと訪ねても、きっとその人だけにしか作れない物語があって。

季節やタイミングの選択ひとつを変えるだけで、がらっとストーリー全体まで変化してしまう。

でも、私がいつまでもこのお話の主役である限りは、また続編を書きにこなきゃね。


誰かと過ごすだけで、なんともない景色や場所に名前がつくのは素敵なことだと思う。

私にとって、函館はそんな名前のラベルがあちこちに貼られている。



私は過去の自分の記憶を辿りながらも、どんどん新しくしていくのが本当に楽しいみたいだ。

だから私はこれからも旅や移動することを続けるんだと思う。本棚をいっぱいにするために。



今年は冬から春へと進んでいく季節の移ろいを3回も感じることができて、とても幸せだった。うきうきした気分、春満開の函館の写真を添えて、4月の締めくくりに。



空は明るく、空気は暖かくなってきて、私の好きな季節はもうすぐだ〜!

それでは、おやすみなさい〜!


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