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DAY1.  7年目の審判


 とうとう朝が来た。7時に指示された投薬をするため、いつもより早く目覚ましをかけたけれど、それよりもだいぶ前に目が覚めてしまっている。

 今日は「判定日」だ。無事に5日目の胚盤胞まで育った受精卵を卵巣に移植してから、1週間。クリニックが指定した日に審判は下る。

 この1週間は異常に長かった。自衛本能で「そう簡単にはうまくいかないだろう」と何度も自分を抑える一方で、「今回は今までと比べてもいい状態の卵だった気がする」と、気を抜けばむくむくと期待が膨らんでしまう。そのくり返しだ。
  
 夫はどうなのだろう。同じような感じかもしれないし、まったく気楽に過ごしている可能性もある。傍から見ていると後者のような気がするが、むしろ気にしないでいてくれたほうが変なプレッシャーにならなくて済む。あえて聞くことはしない。

  午前11時の予約に向けて、10時すぎには夫が運転する車の助手席に乗り込んだ。いまだ続くコロナ禍で、できるだけ電車には乗らない方が良いだろうと、毎回車で送る時間をつくってもらっている。私は免許を持っていないのだ。

 道中、私は思わず口に出す。

 「ねえ、どうだろうねえ?」

 「うん。だーいじょうぶだよ!」

 夫はいつも私が冗談めかして不安を口にすると、鷹揚にひと言、「だーいじょうぶだよ!」となだめてくる。そこには「うまくいくよ」の意味だけでなく、「べつに今回がだめでも、次があるよ」の意味も半分くらい含まれていた。



  7年も不妊治療を続けているというと、他人からはとても深刻そうに見えるだろう。でも、夫と私の間には、あまりそういった重い空気が流れていない。

「できなかったらできなかったで、ふたりで楽しく過ごせばいいだけでしょ」

 夫は治療を始めた当初から、そんなふうに私に言った。「そうね」と私は答える。その実、自分の子どもを持つことに夫がかなり夢を抱いているのも知っている。

 たまに、「もっと若い奥さんをもらったら良かったのに」と心のなかでひっそり毒づく。これまで何度も、「もう治療を終わりにしよう」と夫に言う自分をシミュレーションしてきた。でも結局、自分も踏ん切りをつけられずにいるのだ。

 逆に、夫のほうから「もうやめよう」と言われたとしたら。そのほうがショックかもしれない。とはいえ、夫にそういう気配は一度も感じたことがなかった。

 「だーいじょうぶだよ」「今周期は休むって? いいんじゃない?」「しばらく休めば? そんな焦らなくても大丈夫だから」と、この7年間、そのマイペースぶりは変わらない。 

 そんなに悠長なことを言っていられるほど、私の体には残された時間はないぞ。そう思いつつも、ありがたいことだ。 



 ちょっとキラキラした感じさえ覚える「妊活」が、「不妊治療」に変わるはざまはどこなんだろう。「それはニキビじゃなくて、オデキだよ!」と言われてしまうようなものか。

 最近は「大人ニキビ」などと呼んだり、だいぶ上の年代まで「大人女子」と言ったりするから、42歳の私が「妊活をしている」といってもまかり通るのだろうか。

 少なくとも、子どもが欲しいと思ってもすぐには恵まれず、ひとまずクリニックに足を運んでみようという時点では、まだまだ妊活の域じゃないかと思う。

 まずは、いわゆる「タイミング法」。血液検査や内診をして割り出されるだいたいの妻の排卵日に合わせて、何度かタイミングをとるように指導をされる。35歳で初めて受診したときには「すごい、そんなこともわかるのか!」と感動したが、結果は出なかった。

 よく考えたら、もともと生理不順でもなかった私は、毎月だいたいの排卵日は想像がついたし、指導される日ともあまり誤差がなかった。あれは、意味があったのだろうか。お金と時間の無駄じゃなかったのだろうかと、ときどき思い出したりする。

  とはいえ、最初は「やっぱり自然がいいのだろう」と盲目的に思うもので、言われるがまま毎月のチャレンジをしているうちに、あっという間に月日が流れた。今にして思えば、本当に貴重な35歳の半年間だ。

  6回ほどのチャレンジで結果が出ないと、とうとう宣告される。「自然妊娠ではなく、次のステップに進んだほうがいいでしょう」。人工授精である。

  私も含め、初めて不妊治療をする多くの人は勘違いするところなのだが、「人工授精」といっても、ほとんど自然妊娠と妊娠のしくみは変わらない。

 卵子の排卵日をある程度コントロールし、そこへ遠心分離機などで精製した精子の精鋭部隊を送り込む。医療が介在するのはそこまで。夫婦の愛の営みこそないものの、卵子と精子が出会い、受精し、着床して妊娠が成立する過程は自然妊娠と変わらない。

 そういう意味でも、よく言われるところの「試験管ベビー」は、これに当てはまらない。ベビーが試験管に入っている工程などないのだから。

 ステップとしては、その後、卵子を子宮から採卵して、精子と受精させたうえで子宮に戻す「体外受精」となる。

 子宮から卵子を取り出す採卵の仕方にも、それぞれのクリニックで個性があった。一度に多くの卵子を採るやり方や、1~2個くらいに留めておくやり方など。また、受精のさせ方にも段階があった。

 まずは卵子の上から精製した精子をふりかけて自然に受精するのを待つ方法、それから、1つの精子をごく細い針で直接卵子に注入して受精させる顕微受精。

 そうしてうまく受精すれば、その受精卵を子宮に戻す移植をすることになる。さらに卵を5~6日ほど培養して、胚盤胞になるまで育ててから戻す方法も。

 採卵した周期でそのまま戻す新鮮胚移植と、一度受精卵を凍結して次の周期に融解し、体を万全の状態にして戻すという方法もある。挙げればきりがない。

 すべての方法にはメリットとデメリットがあり、一人ひとりの体や条件に合わせて最適なものを選んでいくことになる。

 これを最初に「試験管ベビー」と言い出したのは、イギリスで初めて体外受精に成功したニュースを報道したものらしい。1978年のことだそうで、まさかの同級生。センセーショナルな見出しとしてはよかっただろうが、特に私の親世代には相当ネガティブなイメージを植え付けたのではなかったか。

 でも、もともと「試験管ベビー」なんて言葉自体がおかしい。

 だって、受精したり培養したりする場が試験管だったとして、それはまだ「ベビー」じゃない。目鼻口がないどころか、着床もしていない卵なんだから。確かに、生命がどこから始まるかというのはとても難しい問いではあるけれど。

 少なくとも妊娠は、着床したときに成立する。そこからしっかり育ってくれれば、胎嚢というのが見えるようになり、6~7週目にはもう胎児の心拍が確認できるようになるのだという。

 母体の中でぐんぐん育っていくその神秘は、どんな妊娠のしかたをしていたとしても、何ら変わるわけではない。



 ちょうど40歳を迎えた年、私たちはいよいよ体外受精へと舵を切った。これが最後のあがきだと思って3つめのクリニックの門をたたいたのである。

 都内でも有名なそのクリニックは、体外受精を専門としていた。つまり、そこを選んだということは、その選択をした夫婦ということになる。

 毎回、900番台の受付番号をもらうことも珍しくないほど患者がいるが、それだけの数の夫婦がその選択に至り、今ここにいるのだと思うと、いつも不思議な気持ちになった。

 実際、まわりにいる晩婚組の話を聞くと、意外とみんな不妊治療の経験があったりする。逆に「あそこのクリニックがいいよ」と勧められることも珍しくなかった。

 こういうと語弊があるかもしれないが、30も後半になれば、妊娠できるだけでも奇跡的なことだ。そこでその方法にこだわっている時間は、もったいなかったかもしれない。チャンスは1カ月に1度しかないのだから。

 そんなことはわかっているものの、みんなやっぱり迷うのだ。

 もちろん、費用が格段に上がっていくのも原因のひとつだろう。国の助成金には金額や年齢に限りがある。

 でも、やっぱり迷いを与える原因として精神的な部分は大きかったと思う。

 体外受精までして、40歳になってまで無理やり妊娠できたとして。万が一、子どもが健康に生まれてこなかったら。そんなの、産む側のエゴじゃないのか――。

 そんなことを、誰かに言われたわけじゃない。日々、ネット上にいくらでも転がっている辛辣な言葉を勝手に自分で寄せ集めて、いつのまにかぐるぐると胸の奥で巡らせてしまうだけだ。 



 「でもさ」

 運転席に座る夫が、ふと可笑しそうな顔をして言った。

「もしも今日、『妊娠してますよ!』って、なったとしてさ」

「うん」

「心の準備、全然できてないや。ヤバい。めっちゃアタフタしちゃうかもしんない」

「なにそれ!」

 思わず私も吹き出して、ふたりでゲラゲラ笑いながらクリニックへ向かう。7年も不妊治療をしてきて何を言っているんだという感じだけれど、夫がそんなことを言うのは初めてのことだった。

 もしかすると、何か予感めいたものがあったのかもしれない。その1時間半ほどあとに、私はクリニックの待合室から駐車場で待つ夫にLINEを送ることになるのだった。 

 アタフタ、してくださいw



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