DAY19.  ちょうど桜の咲く頃に


 まず、謝らなければならない。そのとき、血の気が引くほど動揺してしまったことを。手放しに喜ぶ気持ちになれなかったことを。

「可能性は、まだ、あるんでしょうか……」

 医師に向けた私の言葉は、語尾が少し震えてしまった。

「hcgが21.2出ているので、可能性はありますよ。この表で言うと、ここになります。5人にひとりは、この数値でも出産に至っているわけですから」

 目の前の紙の表に書かれているパーセンテージではなく、あえて「5人にひとり」という言い方をするところに、彼の心遣いを感じる。

 妊娠判定日。血液検査の結果、確かに受精卵が着床したことを示すホルモンの数値は出た。ただ、それは前回のhcg 33.0 mIU/mLよりもさらに厳しい確率を示している。

 前回、何度も「難しいでしょう」という医師たちの言葉を聞きながら、最終的には赤ちゃんの袋である胎嚢、心拍確認までたどり着いて、その奇跡に歓喜した矢先、8周目で稽留流産の診断を受けた。地の底まで落ちた瞬間、そのえぐられるような記憶が、どこまでもついてくる。

 そのうえ、去年の7月に着床の判定が出たあと、8月末の流産を経て再び採卵をして今回の移植に至るまでには、実に8か月もの時間を費やすことになった。その間、ちょうどこの4月から始まる不妊治療の保険適用“外”の年齢になったのである。43歳。ここからもう一度移植に至るためには、一体どれくらいの時間を要するのか見当もつかない。

 やはりもう、これがラストチャンスなのではないかという思いが頭をよぎる。

「次回は10日後に来てくださいね」

 前回も、ここからがまた長い闘いだったのだ。医師から「おめでとう」を言われる日は、まだまだ遠い。

   *

「ちょ……」

 思わず声が出た。はたと目に入った私のパンツ。洗濯ばさみがつまんでいたのは腰のほう2点ではなく股のところ、1点吊りで干されている。私はそれを見なかったことにして、自室に戻った。ここで言ったら、すねてしまうこと間違いなしだ。

 移植からというもの、夫は本当に毎日洗濯ものをして、掃除機をかけて、ゴミ出しをして、犬の散歩をしてくれていた。これまでの8年、考えられなかったことだ。

「僕も家事やってますとか、育メンだとか、自分で言うから叩かれるんだよ。俺は堂々と言うからね、『俺は家事とか一切してません』て!」

 こんな時代にそんなことを平気で言ってのける夫が、今回ばかりはとうとうやる気を出してくれたらしい。どこまで続くかなと思っていたら、本当に毎日続いている。掃除機は私よりもずっと丁寧に、毎日欠かすことがない。

「この前は、俺が犬の散歩しかしなかったのがいけなかったのかもしれないから」

 ぽつりとそう言った夫。おそらく彼も彼で、今回の移植にかける思いは大きいのだろう。こんな機会でもなければ一生やらなそうなので、経験にでもなればと判定日後もそのままお願いしてしまっている。実際のところ、着床後にまでそんなに安静にする必要もなさそうなのだが……それは内緒だ。

 私も家事はしている。洗濯物は、なぜかたたむのとしまうのは私の役割となっていて、料理と洗い物も私だ。とはいえ、そんなところなので、結婚生活史上ベスト1、2くらいはゆったり過ごしている。そうしてちょっとだけ家事をして、あとは締め切りギリギリまでに仕事を終わらせさえすればいい。

 ただ、判定日の後、次の検診までの10日がやたらと長く感じられるのは、そんなゆったり生活も関係しているのかもしれなかった。

 とはいえ、そこはかとなく漂う悪阻の気配。風邪になる前兆のような節々の痛みがあったかと思えば、今度は肩や背中が妙に凝っている。洗い物など立ち仕事をしていると頭がくらりとしてくるし、胸のあたりが少し苦しい感じがする。下腹も生理前のような重さがあって、どうも前かがみに、姿勢が悪くなりがちなのも、肩や背中の凝りをひどくしている。

 しかしそれらは、どこか幻のようでもあった。よく聞くような吐き気ほどではないし、少しさっぱりめなものが食べたい程度で、実際に嘔吐することもない。

「君は本当にそこにいるのか?」と、もともと出がちな自分の下腹を眺めながら、まだ何の実感も持てないのだった。

   *

「うどんでも茹でようか?」

 夫の提案に、秒でうなずく。移植後も料理は私担当なのだけれど、うどんといえば、夫のこだわり分野。つまりは夜ごはんをつくってもらえるということで。

 4月1日からのクリニック診察には、不妊治療の保険適用が開始される関係から、戸籍謄本の提示が求められている。それで土曜にわざわざ臨時窓口まで取りにいったとき、近くで香川県の物産展をたまたま見つけたのだ。

 実は結婚当初、親戚に会いに行った旅行で「うどん県」のファンになった。夫はもともとうどん好きで、以来、毎年何かの折には本場から讃岐うどんが送られてくる。それをちょうど切らしていて、物産展で買い足したのだった。

 去年の夏も、夫は毎日のように「うどんが食べたい」という妻のために、うどんを茹でてくれて。流産までの間、少し悪阻じみていた胃に、うどんがとにかく美味しかったのを覚えている。あのときは、箱で大量に送られてきたのを、いつもみたいに賞味期限を気にする間もなく間食したっけ。

「うん、うん。おいしいね」

 物産展で買った初めて食べるブランドのうどんは、釜揚げにしてもしっかりこしがあって、それでいてつるりと喉ごしもいい、ふたりの好みの感じだった。

「うん、旨い。ちょっと水で締めてみたけど、釜揚げはやっぱりそのままのほうが良いのかな……」

 自分なりに少し納得がいかないようだが、それでも夫は満足げにうどんをすすっている。シンプルに白ねぎと生姜だけ入れたつけ汁が、またうどんそのものの味わいを引き立てていた。このつけ汁は、昆布が入っていないのもありがたい。甲状腺の数値の関係で、妊活のために昆布を控え始めて、もう2年経っている。昆布の旨みなくしておいしいものというのは、何気に貴重な存在だ。

 花見のつき合いで二日酔いの夫と、私の食欲がちょうど同じくらいらしい。今日はこのうどんに、申し訳程度に私が焼いたそら豆を塩につけてパクパクと食べる。

「くっさ……!」

 急な夫の言い草に、思わず見やる。

「えー?」

「そら豆、くさぁ!」

「なに、失礼しちゃうね!」

「いや、そら豆ってくさいんだよ」

「なにが。おいしいじゃん!」

「おいしいんだよ。おいしいんだけどね、ちょっと手のにおい嗅いでみなって」

「えぇー?」

 夫はまた自分の指を嗅いで「くさぁっ!」と顔をしかめている。私も自分の指を鼻に近づけてみた。……確かに、どこか真夏の足のにおいを思わせる風情ではある。

「うーん……」

「ね、めちゃくちゃくさいでしょ!?」

「美味しいんだから、食べてよねー!」

 そんなくさい、くさくない言いながらそら豆を食べ終わると、ふと思い出す。

「そうだ、なんかでこぽん買ってきてたよね」

「買った!」

「食べる?」

「食べるよ! あれね、なんか高かったから旨いと思うんだよね」

 夫は誇らしげに言った。この間、夫がアイスやらなにやらとごったに高級スーパーで買って帰ってきたお土産だった。

「なんかすごいお供えみたいだったよね」

「そうそう。葉付きでこぽん、だってさ」

 夫はみかんの味にもうるさい。いくつもみかんがあるときは、いつもその中から選りすぐりの一個を吟味して選び、ふたりでどちらが甘いかを勝負する――そんなわが家だけのへんてこな習慣もあった。

 本当に立派。つややかな葉付きでこぽんをひとつ、野菜室から出してきて夫に渡した。夫が指を入れてむきながら言う。

「これは、当たりだな……」

「なになに、むいてるだけで違う? あ、いい香りがするねぇ」

 しゃくしゃくとみずみずしい音を立てて皮がむかれていき、ふわりと心地好い柑橘の甘酸っぱさが鼻腔をかすめる。ふたつに割られた分け前をもらって、ふたりで食べ始めた。大きめの柑橘のときの、いつものルーティン。

「……あ、すっぱぁ!」

 自信満々のドヤ顔で、ひと粒口に入れた夫が言った。

「えー?」 

 私もひと粒口にする。甘酸っぱい、これはこれで好い塩梅だ。夫はみかん好きなくせに、すっぱいのがあまり好きじゃないらしい。

「くそぅ……高いからおいしいと思ったのに……」

 ぶつぶつと負け惜しみのように言いながら、パクパクと食べている。

「おいしいじゃん。ちょっとすっぱめだけどねぇ」

 私も笑いながらパクつく。食後のくだものというのは、なんでこうも満ち足りた気持ちになるのだろう。締めに食べられると、どんな質素な夕食もワンランク上がる気がする。

 ここに子どもがいたら。選ぶくだものも、その取り分け方も、また変わってくるのだろう。こんな日のやりとりを懐かしく思う日は、くるのだろうか。

   *

 洗濯ものをたたんでいる私を見て、夫が思いついたように言った。

「そういえばさ」

「んー?」

「女性もののパンツってさ、どう干すの?」

「ぶはっ!!」

 思わず吹いた。

「すごい干し方してたよね……!」

「え、やっぱ違った? どう干すのよ、あれは」

 ケタケタ笑いが止まらない私に、夫もつられて笑う。しかし私は抱腹絶倒。涙がちょちょぎれるほどだ。

「あー、可笑し。なんであそこ、股のとこつまんだのかと思ったよ!」

「いや、だって。横のところ1つつまんだら伸びそうかなと思って」

「腰のところ両方を2つつまむんだよ……!」

「え! パンツごときに2つも洗濯ばさみ使うの!?」

「パンツごときって……。確かにね。笑う……」

 お互いに「その発想はなかった!」と言い合い、私はまたいつまでも笑っていた。

 ともあれ。こうして日々どうでもいいことで笑いあうのは、ふたりだからこそのことで。ひとりならどこまでも考え込んで、ただただ沈んでいく私の性質からしても、とてつもなく尊いことだ。

 これが3人だったら。笑いのネタはますますつきなそうだとも思う。そんなしあわせを願うのは、贅沢過ぎるのだろうか。

 外は朝から雨が降りしきっている。せっかくの桜も、これでだいぶ散ってしまうだろう。一年でも一番好きなこの時期なのに、この10日間、桜は2回ほどしか見ずに終わってしまった。

 明日は再判定日だ。桜も実は、散った後の芽吹きの緑が、また美しく映えるとなぁと思ったりする。そんな春のパワーに満ち満ちて、一発逆転の奇跡が起こることを夢見てもいいだろうか。

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