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多数決が全てではない


こんにちは、こんばんは。立ち寄ってくださりありがとうございます!☺️🌼

私は最近思うことがあります。それは

多数決って、いい方法なのか?

ということです。

現在、私は「学校教育と多様性」について研究しています。
それについてはまた改めてお話したいなと思うのですが、この研究を進めるにあたって、”マイノリティー”について深く考えるようになりました。

マイノリティー(少数派)ってどんな人だろう?自分はマイノリティーではないな。
そう思われる方もいるかもしれません。
しかし、誰でも「マイノリティー」になり得るのです。


——

ここで一つ、私の経験を、お話しします。
私は小・中学時代給食を食べるのが遅く、時間までに食べ終わることができませんでした。(6年間で間に合ったのは10回もありません…)
そしてよく、「みんなに迷惑がかかるから早く食べなさい」「将来困るのよ」と怒られていました。
努力してもできない自分、そしてそれを理解してくれない先生。

そして小3の時、事件が起こりました。
よくは覚えていませんが、「全員が時間までに給食を食べ終わらないと、昼休みはどうしたらそれが達成できるかの話し合いをする」という恐ろしい制度ができました。
もちろん、私のせいで、私一人のせいでそれが達成できませんでした。私のせいで、クラスメイトの昼休みがなくなってしまいました。
私は1番後ろの席で残りの給食を食べながら、ごめんなさい、ごめんなさいという思いでみんなの背中を見ていた覚えがあります。

そしてその後、私は威圧感やプレッシャーから給食を目の前にすると吐き気がするようになり、給食を食べられなくなりました。スープ一口しか飲めない日もありました。
社会科見学の時、母が作ってくれたお弁当でさえ食べられませんでした。
私が拒食反応を起こしたのは「学校」だけでした。学校環境が私をそうさせたと言えますよね。

今思うと、私は当時「給食を時間までに食べ終わることができない」というマイノリティーでした。マイノリティーである私は、本当にマジョリティー(多数派)である人たちに合わせなければならなかったのでしょうか?
どうして先生は私の苦しさを理解してくれようとしなかったのでしょうか?

——



この経験を踏まえ、本題に戻ります。

本当に多数決って、いい方法なのでしょうか?

もちろん、何かを決める際に多数決をせざるを得ないことはあります。しかし、必ずしも少数派が多数派に合わせなければならない、ということはないと思います。むしろ、少数派の意見を押しつぶしてしまうのは問題があると思うのです。

多数決をするにせよ、少数派の意見もしっかりと聴き、自分とは違う意見も受け入れることはとても重要です。

必ずしも多数決が全てではない、と私は考えます。
みなさんはどう思いますか?


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