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【原千晶さん】インタビュー(1)

30代で子宮頸がん、子宮体がんと2度のがんを経験された女優・タレントの原千晶さん。現在は、今年10年目をむかえる患者会であるよつばの会の運営など、多くの場でがんの啓発活動をなさっています。今回はがんを患った当時の思いや、今振り返って思うことなどについてお話をうかがいました。全3回にわたってお届けします。

具合が悪いことが当たり前に。もっと早く病院にいくべきだった。

ー最初の子宮頸がんが分かった経緯を教えていただけますか?

私はがんになるまで、恥ずかしい話、子宮頸がん検診を受けたことがなかったですし、存在も知りませんでした。元々生理痛がひどかったのですが、20代後半には体調だけでなく、PMSの症状として気分の落ち込みもひどくなっていきました。その後も不正出血やおりものの変化がありましたが、市販の鎮痛剤などでごまかして、病院にはいきませんでした。面倒くさいし、どこの病院にかかったらいいか分からない、そんな風に色々理由をつけて病院を遠ざけていました。
そんな中、2004年の年末、私が30歳になった時、友人にぽろっと自分の諸症状を話したんですよ。そしたら、友人に「千晶ちゃん、なんで婦人科いかないの?もう30代になって、結婚、妊娠、出産をのぞむなら、婦人科のチェックをしていないってどうなの?」と言われたんです。そこで、今まで病院にいってこなかった自分を恥ずかしく思い、友人に勧めてもらった病院にいくことにしました。 

ー診療ではすぐにがんと判明したのでしょうか?

最初のクリニックではまず子宮頸部の腫瘍が見つかりました。その後、より詳しい検査が必要ということで、紹介していただいて大学病院にいきました。大学病院では様々な検査を受けましたが、腫瘍ががんであるかどうかは切除してみないと分からないと言われ、子宮頸部の一部をきりとる円錐切除手術(※1)をうけました。手術後から3週間くらいでしょうか、腫瘍の検査結果が出たという電話をうけ、病院にいったんです。そこでおもむろに、「この前手術でとった腫瘍はがんだったから。」そう伝えられました。もしかするとがんかもしれない、とは伝えられてはいましたが、円錐手術後、体調が改善して気分が軽くなっていた私にとっては突然の宣告でした。


病気から逃げたい、よく分からない。子宮摘出をめぐる思い。

ー1度目の発見時は子宮摘出手術をキャンセルしたとうかがいました。決断の背景を教えていただけますか?

主治医の先生からがんの再発や転移を防ぐために、子宮の全摘手術を勧められました。将来子供がほしいと考えていたため、がんだった以上に子宮全摘を勧められたことの方がショックでした。がんは子宮頸部の扁平上皮がんⅠA1期から2期くらいの段階だと伝えられたため、素人の私は1期と聞くと初期のように思えて、なぜ子宮という臓器をまるごととらなければいけないのか、と当時理解できませんでした。
両親や当時所属していた事務所の社長、マネージャー、友人など、私の大切な人は100%子宮の摘出を薦めてくれました。「手術を受けて、病気を治して元気になろう、仕事をしよう。」そう言って励ましてくれました。それでも私は、周りが言えば言うほど頑なになり、私の気持ちなんて分からないじゃないかと心を閉ざし、「取りたくない。」その一心でした。
周囲への反発に加えて、病気に対して無知だったことも当時、摘出手術をキャンセルした理由です。子宮頸がんと調べると性にまつわるネガティブな情報の方が多く出てきてしまったこともあり、自分の都合の悪い情報を全部シャットダウンしてしまっていたのです。その結果、根拠もなく、摘出せずとも乗り切れるんじゃないか、そう思ってしまったんですね。
病気からの逃げと無知、それによる楽観、この3つによって私は子宮全摘出手術をしないことにしました。

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※1:子宮頸部を円錐に切り取る手術のこと。がんがどの程度深く、広く浸潤しているかを調べるために行われる。ごく初期の病変であれば検査と同時に治療にもなる。

独立行政法人労働者健康安全機構九州労災病院「がん治療~子宮頸がん」https://kyushuh.johas.go.jp/cancer/disease/12-uterus_n.php , 2021/9/22 閲覧


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【この記事を書いたのは】インターン生 三井日紗子 普段はHatch Healthcare株式会社で、PR活動を担当。

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