エミリーの不幸とフェミニズムの難儀(後編)
一番好きな映画『レモニー・スニケットの世にも不幸せな物語』で事実上の主役ヴァイオレットを演じたエミリー・ブラウニングが、以来「不幸せ」が板についてしまったのでは……という疑惑を追う後編です。
『スリーピング ビューティー 禁断の悦び』
U-NEXTの「みどころ」には、「エンジェル ウォーズのエミリー・ブラウニング主演による文芸エロス」と書かれているのですが、その文芸というのが川端康成の『眠れる美女』。
『眠れる美女』は、秘密クラブに通う老人が、眠らされた若い娘たちの傍らで一夜を過ごす物語ということですが、本作『スリーピング ビューティー』では、若い娘のひとりであるルーシー(エミリー・ブラウニング)が主人公に。そのため、秘密クラブでの仕事に行き着くまでの経緯など、ルーシーの背景が描かれます。
学費を稼ぐため、日々さまざまな仕事に奔走するルーシー。そんな毎日に疲れた彼女は、より高い収入を求めて秘密クラブのアルバイトに応募する。初めは下着姿で老人たちに給仕するだけだったが、やがて「睡眠薬を飲んで眠る」という奇妙な仕事を任される。(U-NEXTより)
学費を稼ぐ手段として他のアルバイトや、バーで客を取る様子も描かれ、アンチフェミニストなら「彼女のような人のために性産業は肯定されるべき」と勘違いしそうですが、ルーシーが抱える事情が特殊であることも表現されています。ただ、ルーシーは(そして本作自体が)多くを語らないので「説明不足」だということも簡単です。
なお映像表現としては全裸あり。あり、というか全裸多分です。
ただ老人相手の秘密クラブは「挿入禁止」が強調され(そして守られ)、バーで客を誘ったあとは翌朝帰途するシーンへ移行するなど、裸+性交による見世物としてのコンテンツにはなっておらず、端的に言えば「いやらしくない」作りになっています。
いわゆる「エロコード」抜きで表現すれば、アートと性消費型コンテンツの分離は容易であることがよくわかります(エロコードのことは以前も少し書いているので、よければあわせてお読みください)。
なお本作は2011年のオーストラリア映画で、監督はジュリア・リー。女性監督と知れば納得の安心感です。
前編で紹介した『エンジェルウォーズ』も2011年の作品。こちらもエロコードで釣る作品ではありませんが、「アイコン」のチョイスが無邪気なのが気になるところ。でした。
なお本作も「邦題ダメじゃん」です。『眠れる森の美女』の英題と区別したいのはわかりますが、とはいえ「禁断の悦び」はないでしょう。それはあくまで老人視点の場合に成立する副題であって、主人公が女性になっている本作では釣りタイトルに分類されるかなと思います。
実際、ルーシーが抱える事情は「悦び」などとは縁遠いものです。本稿の関心事「エミリー・ブラウニングは不幸が板についてしまったのか」は否定できず、むしろ濃厚になっていきます。
なお個人的な感想としては、この映画は○。ただしルーシーの"仕事"のシーンには、『エンジェルウォーズ』のバトルシーンと同じく「困った」のもまた事実です。
両作はある意味では似ていますが、前述のとおり『スリーピング ビューティー』は多くを語りません。一方『エンジェルウォーズ』は最後にすべて説明されます。おそらく両方を気に入る人は、かなり少ないのではないでしょうか。
『ポンペイ』
2014年のアメリカ映画。タイトルのとおり、かつて火山の噴火で滅亡した古代ローマの都市ポンペイの物語。
こちとら『AoE(Age of Empires)』に出会って以来古代ローマについては強い関心があるので「どんとこい」ですが、世間的には「誰が観るのよ」感に溢れます。『Age of Empires』も古代が舞台の1作目は、中世が舞台の2作目より不人気で……。
西暦79年、海辺の都市ポンペイ。この街を訪れた剣闘士のマイロは、有力者の娘カッシアと身分差を乗り越えて恋に落ちる。そんなふたりの愛を引き裂こうとする元老院議員コルヴス。その一方で、聳え立つヴェスヴィオ火山は、今まさに噴火しようとしていた…。(U-NEXTより)
物語としては壮大な歴史物……を期待させますが、わりとふやけたラブストーリーです。
ポンペイの有力者の娘カッシア(エミリー・ブラウニング)は、怪我をした馬を"ひと思い"に死なせた奴隷であり剣闘士となるマイロにひと目惚れ。マイロがなぜカッシアに惹かれたかよくわかりませんが、とにかく身分の違いを超えた愛! の始まりです。
うーん。こっちが「禁断の悦び」では? 邦題がんばれよ! としか言いようがありません。
概ねキャラクターの心情が丁寧に描かれず「典型的な設定だから、わかるよな?」という圧を感じる本作ですが、唯一、剣闘士同士の友情についてはその関係の変遷を含めて丁寧に描かれます。典型的なのは変わりませんが。
女性向け……? と一瞬思ったものの、それなら「お相手が奴隷」はないだろうな、などと悩みながらの鑑賞です。
愛と憎しみ、そして友情。男性にも女性にも「フック」することを目指したメジャー感に溢れますが「幕の内弁当かな」と言ってしまう嫌な日本人、それがわたくしです。
あとは、闘技場における剣闘士のバトルシーンが長い! 「やっぱり映画はアクションだろ?」ということなんでしょうけど、ここは「剣闘士の物語が観たければ『グラディエイター』……ではなく『スパルタカス』(スタンリー・キューブリック監督)がオススメ」などとまた余計なことを考えて過ごします。
なお本作の監督は、ポール・W・S・アンダーソン。映画『バイオハザード』シリーズなどの監督・脚本で知られる方のようです。ああ、納得。
登場人物を駒として物語を俯瞰して描き、キャラクターの心情に寄り添わない作風は男性監督によくあることですが、本作はその典型。
俯瞰といえば、昔の歴史映画は当時の人々の視点にはなかった空撮による映像などは使わないことで鑑賞者に一体感を与えていたようですが、本作はそういったこだわりは垣間見えず、空撮多め。権力者がバルコニーから見下ろすシーンだけは俯瞰する、といったかたちでメリハリをつけるのに効果的なんですが、そういうのはありません。
とはいえCGで再現されたポンペイ周辺の様子を美麗な映像で観られることは本作の魅力です。ここは素直に嬉しいところ。
全般にシーンの凄さ的なものを優先している作品だとは思うのですが、ただ、それにしてはラストシーンが衝撃のひどさ(直球)。ネタバレになるので詳しくは書きませんが、この作品がここまでがんばってきたものすべてを破壊し尽くします。
あるいはこれもまた、作品全体でメタ的にポンペイの悲劇を表しているのでしょうか? ラストが良ければ典型的なハリウッド映画としてはそれなりだったのに、どうしてこうなってしまったのでしょう。
なお物語の終盤では、最終的に滅亡するポンペイにおいて「誰がより不幸(惨め)か」を示すことで主人公たちの相対的幸福が描かれます。そうしたなかにおいて、カッシアは間違いなく相対的幸福の立場にあるのですが……。
まとめ
今回、前後編で紹介した3作は、方向性がずいぶん異なる作品ですが、一定の視点(ヒロインは不幸せか)で観ると気付かされるものがあり、酷評した『ポンペイ』も含め、どの作品も観てよかったと思います。
お気に入りの作品の監督、脚本家の別の作品を観ても似たようなものが多くなりがちですが、キャストで観ると普段なら自分で選ばないような思いがけない作品に出合うことができるのは良いところですね。
ただ、『レモニー・スニケットの世にも不幸せな物語』で長男クラウス(弟)を演じたリアム・エイケン出演作も観てみようと思ったところ、ヒットに恵まれていないのか日本語化されている作品があまりない様子。これはたいへん残念ですが、エミリー・ブラウニング出演作は(彼女の扱いは小さくなっていくものの)まだあるので、機会を見つけてまた観ていこうと思います。