見出し画像

リーダーシップを学ぶ~ダムの底のメタバース

20周年を迎えたMMORPG、FF11世界に見た「新日本社会」を振り返るシリーズ。前回は最後に、ぼくと同じワールドでプレイしていた通称「みっくん」が10年以上に及ぶいじめ被害を受けていたことに触れました。

今回は、このいじめ社会を通じて学んだ「リーダーシップ」と「チームワーク」についてまとめます。

前提としての"いじめ"の実態

匿名掲示板での"晒し"は「あること・ないこと」を書き込んで中傷するのは当然でしたが、「みっくん」をターゲットとする場合には「同じパーティーにいたメンバーも晒す」という行為が行なわれました。

これはひどい。ほぼテロリズムです。

これをやられると、彼を誘う人も、彼の誘いに乗る人も劇的に減ります。結果的に、彼が在籍するパーティーは人集めに時間を要するようになり、さらに敬遠する人が増えていきます。

彼がリーダーを始めるとパーティー参加希望者が減る、という事態も起きました。彼のパーティーに入って晒されては困るし、とはいえ入ることを断ればトラブルになると考えるからです。

こうして、加速度的に彼はパーティーを組みづらくなっていきます。

同じタイミングでパーティーを組もうとする人も巻き添えです。「みっくん」とは別のパーティーを編成しようとしても、参加希望者が少ないのですから。

トラブルが起きないケース

ぼくが「みっくん」と初めてパーティーを組んだとき、彼はすでに「有名人」。どれだけヤバイ奴なのかと気になったぼくは、彼の言動に注目していました。

しかし、その後の経験も含めた結論を言えば、ぼくがリーダーで彼がメンバーのときも、彼がリーダーでぼくがメンバーのときも、トラブルは起きませんでした。

最大の理由は、「みっくん」は、さほどおかしな奴ではないということ。

ただ、彼はわりとポジティブな方で、積極性が目立ちます。FF11における"日本パーティー"はリーダーの指示にだけ従い、他のメンバーは意見もしない、というのが常識になっているところがありますが、彼は自分がリーダーでなくても、それなりに意見を言います。それ自体が「許せない」という人がいるのは事実だと思います。

とはいえ、リーダーとしては意見を言ってもらえることはありがたいことが多いです。リーダーというのは孤独ですからね。もちろんメンバー同士で喧嘩を始めたり、全体の方針に反して自分だけ身勝手な行動をとられたら困りますが、「みっくん」はそのようなことをする機会を見ることはありませんでした。

逆に彼がリーダーのとき、彼は自分の方針をメンバーにきちんと伝えていました。ただ、彼は独自の戦略が好きで、見たことも聞いたこともない作戦を実践しました。ぼくが参加した限りでは、その独自戦略が成功していたので、むしろ見習おうと思っていました。しかし、これも「そういうのは許せない」という人がそれなりにいるのは確かです。

トラブルが起きなかったもうひとつの理由は、メンバーの価値観が一致したこと。

晒された罪状をそのまま信じて「みっくん」を避けるプレイヤーは、パーティーに参加しません。パーティーにあとから「みっくん」が加わると、抜けていくプレイヤーもいました。実際にトラブルにあって嫌気がさしているひともいたようですが、罪状を伝えて自分が抜けることで「みっくん」の悪評を広めようとした動きもありました。

なんて陰険なんでしょう。

ただ、結果的に「みっくん」がいるパーティーには大らかなプレイヤーが集まります。晒しを信じたうえで「不味い稼ぎになるかも」とか「トラブルになるかも」と考える人もいたと思いますし、ぼくも覚悟していた面がありました。でも、それを前提に動けば対処できるのは当たり前のことでした。

実際、「みっくん」がいるパーティーにおいて、メンバーは"普段"より親切になり、また少し饒舌になってコミュニケーションが捗ります。

FF11は、長い歴史のなかで徐々に無口なゲームになっていきます。常識的な戦略が確立され、予習しているのが当たり前になり、それぞれが決まった役割をこなす……そして、そこから逸脱する人は排除されていき、会話の必要性が減っていったからです。

価値観は人それぞれですが、効率を重視した結果、FF11の社会からはゲームのおもしろさのほとんどが失われてしまったとぼくは思います。そういう観点で見れば「みっくん」のパーティーには"ゲーム性"が生きていたと言えるかもしれません。結果的に、他のパーティーよりムードが良好になることもありました。

ただし、トラブルが起きるケースをまったく目にしなかったわけではありません。

トラブルが起きるケース

トラブルが起きないケースを逆に考えればわかることですが、皆が"息を合わせる"ことができなければ、トラブルは発生します。

ぼくが一度目撃した「みっくん」がらみのトラブルは、彼が「リーダーでもないのに指示を出す」というものでした。これは、めちゃくちゃ嫌われます。当時のトラブルが晒されたかどうかは知りませんが、晒しの罪状のひとつとなりえるでしょう。

ただし、そのトラブルは結局のところバトルが良い展開をしなかったことが原因です。

予想外の展開でグダグダになり、誰かが方針を示す必要があった。普通ならリーダーが何か言うところを、「みっくん」が言った。ただそれだけのことです。ある意味、「リーダーを立てる」のは普通のことになっていますが、リーダーの手に負えない場合にメンバーが補助するのは当たり前のことですから、「みっくん」が言わなければぼくが言っていたことでしょう。

しかも彼女(そのときリーダーは女性キャラ)はぼくのフレンドでした。ぼくがもっと早く手助けすべきだったのに「判断が遅れた」と言われても仕方ないかもしれません。

ところで。べつに彼女がリーダーに不適格というわけではありません。

FF11は一時期、20年の歴史で言えば中期以降、6人パーティーではなく、6人パーティーを3つあわせた18人の"アライアンス"で行動するコンテンツが増えました。野球ができるレベルの人集めだけでも疲労し、さらにこれをひとりのリーダーが指揮するのはかなりたいへんで「目が届かない」のはごく当然のことでした。

FF11の開発者が明言したわけではありませんが、アライアンスでのプレイが前提とされたのは、おそらく「リーダーが少ないから」です。FF11においてリーダーの負担が大きいことは明白で、プレイヤーからも改善を求める声があがるなか、開発は「リーダーがひとりいれば、あと17人が参加できる」アライアンスという方法を選択しました。

この選択には、"ゆるい"プレイヤーもメンバーとして歓迎されるというメリットがあった一方で、リーダーの負担が極端に増加するというデメリットがありました。当然のように、トラブルの発生源になります。

社長に学んだ経営者の知恵

ぼくは以前アスキーという出版社に勤めていましたが、当時の社長・西和彦氏が「指示を出す相手は(最大で)7人まで」という旨の持論を語っていたのを思い出します。

これは組織の運用において、誰かが部下に指示をしたり監督する対象は最大で7人までにすべき、という話です。だいぶ昔のことなのでうろ覚えの点もありますが、社長は7人の取締役を監督し、各取締役は7人の部長を、各部長は7人の課長を、課長は7人の平社員を、という感じで組織は作られる、という概要です。

ただ、7人というキャパシティはあくまで最大のもので、その人の能力や環境によってはもっと少なくなることもあります。ぼく自身は「3人以上はツライ」というのが正直なところです。

また、つい忘れがちですが、部下から見て上司の"おもり"をしないといけないケースもあります。するとキャパシティは -1 になります。職業がディレクターや編集者の場合なら、外注スタッフとのやりとりも人数に加える必要があるので、社内の同僚とのやりとりは意外と狭いものになりがちです。

まあ西氏自体は奇異な人物として知られる曲者なので、この話を鵜呑みにするか否かはともかくですが。数字はさておき「目が届く人数に限界がある」ということは間違いなく、意識すべきことでしょう。

「大きな組織のトップ!」「たくさんの部下を抱えるリーダー!」という絵に憧れて、多くの部下に指示を下す姿に憧れを抱く勘違いワンマン経営者はそこかしこに実在しますが、実際の組織は目立たない人々が支え合って維持しています。この問題が影響して、日々ストレスを感じている人は少なくないのではないでしょうか。

リーダーからの上から目線の都合だけでなく、メンバー同士もお互い目が届かなくなればほころびが生じ、そこから犠牲者が生まれるということをゲームの世界で実体験できたことはFF11におけるもっとも貴重な経験のひとつです。

FF11の20年の歴史では、ほかにも20年にわたる経済の変化や、いじめとはまた別の"差別"が生まれる構造なども見ることができました。それらも今後、断続的に書いていけたらと思っています。

(つづく)

この記事が参加している募集

多様性を考える

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?