見出し画像

天狗が語る「いいね!」反作用問題(前編)

みなさん「いいね!」の数って気にします? あ、noteだと「スキ」でしたね。ぼくは気にします。ただ、「いいね!」が少ないとやる気をなくすよねー、みたいなことではなくて。逆に「なんでこれが、そんな評価されるかなー」というのが今回の話題のテーマです。

ほめられることは嬉しいことですし、ぼくなんかは単純に「えへへ」ってな具合にポジティブ一直線なんですが、なかにはそうでない人もいます。

父が芸術家肌の非常識人だったこともあり、ぼくは絵画や音楽を押し付けられる子ども時代をすごし、ものによって気に入ったり気に入らなかったりしてきたのですが、幸か不幸か少しはひとより絵が描けました。

小学生のころはガンダム(というよりガンプラ)ブームだったこともあり、よく「自由帳にガンダム描いてよ」と頼まれ、描き、喜ばれていました。そんな子どもがなぜ絵の道へ進まなかったかと言えば、上には上がいて、格の違いをまざまざと見せつけられていたからです。

ぼくが幼稚園以降を過ごした東久留米には、当時、マンガの神様・手塚治虫さんが暮らしていました。また東京郊外ということでアニメの制作会社・プロダクションなどが近くにありました。漫画家、アシスタントさんも近所にお住まいだったことは自然な成り行きです。東映動画にお勤めのお父さんがいる子のおかげで現場を見学させてもらえたりして、お得な少年時代ではありました。

ところがそうした"2世"が多い環境では(誰がどういう"家系"か把握していたわけではありませんが)極端に絵がうまい子がいて、まったく歯が立ちません。いわゆる神童ってやつですね。今なら「その立体的な構図を、どうしたら描けるのか」と言葉にくらいはできる思いも、小1とか小2のぼくにはただの謎でしかありません。

彼は度を越したクオリティで「ガンダム」をクラスメイトの自由帳に描き、賞賛を得ます。ぼくなんかより遥かに強い「いいね!」です。つよいいねですよ。なんだか言ってて恥ずかしいけど。

ところが、彼は「絵、うまいね」と言われても喜ばない。ぼくなんか手放しで「ふひふひ」言っていたというのに……。

もちろん、嫌がるわけではないですよ。ほめたこちらが、なんとな~く微妙な印象を受けるだけ。決して「素人に喜ばれても仕方ない」みたいなことを言うわけでもありません。天狗になるような段階を超越しているので、"そういうの"ではなかったのは確かだったと思います。

「うれしくないの?」と訊ねてみればよかったのですが、なぜか訊けなかった。今だから正直な気持ちを言ってしまうと、答えを知るのが怖かったような気がします。彼は友人で、中学生になっても一緒に遊んでいたというのに、絵の話をすることもほぼありませんでした。まあ、ファミコンやってたからだけど。

ともあれ。

「ほめられたからって、ただ単純に喜ばない」という不可解なテーマは小学生のぼくの心に深く刻まれ、その後の人生に大きく影響を与えました。このテーマと出会っていなければ、もっとずっとエヘヘフヒフヒ言いながら調子に乗ってイラストレーターを目指したり、今も偉そうに上から目線のドット絵講座をnoteに掲載していたかもしれません。あ、「そこは大して変わらないだろ」とか言わないで!

ただ、勘違いで調子に乗ってでも、その道を突き進む方が大成するという面もあります。このテーマ自体、諸刃の剣であることは間違いないでしょう。

長くなりそうなので、次回に続きます。

(つづく)



この記事が参加している募集

#スキしてみて

526,389件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?